飼体と肢体と屍体としたい
お前の戯言より先に小説読ませろって方は
コチラ
---先書き---
この『飼体と肢体と屍体としたい』という企画は、ワンウィーク(二〇〇四年十二月十九日迄 厳密に言えば、二十日になるかも)で完結することを前提に発足しました。内容はお馴染みのオリジナルバトルロワイアル、二次創作になります。
執筆は話数で計算され、話数は一日一話〜二話をノルマとし、最低七話完結。
今作は、今まで僕が書いてきた『桐山アナザー』『くるみ』のように、バトルロワイアルに関係のないサイドストーリー等を一切無くし、七人の中学三年生達がバトルロイヤル方式で、殺し合いを強制されるという元来の形式をなぞったものになります。故に、他のオリバトや原作に見られたようなレジスタンス側の話の同時並行、政府側(防衛軍側)の話は一切ナシです。
本家『バトルロワイアル』(高見広春.著 太田出版)原作と同様、普通に戦闘実験”プログラム”に巻き込まれるというところから、この物語は綴られていきます。
---執筆のテーマ・動機---
オリバトの執筆を始めた当初から追求してきたテーマ「主人公がいない」を実践することが今作のテーマであります。何故、この執筆を開始することに至ったかということについて、オリバトサイトのくせにオリバトを一作も完結させていないという醜態を晒していたから……まあいわゆる未練があったせいでもありますが、「一週間での完結」を公約するということで、自分をとことん追い詰めた状況を確立させ、目標を達成してやるぜ! 的なとことんノリで突っ走った著者自身である僕自身の魂のリピドーが執筆動機でもあります。
今作のポイントとして、七人の生徒以外にもその他物語に登場する人間達全員に「物語の主要人物」の権利が与えられていることが原作との唯一の相違点です。
書きたい結末が浮かんだから、という安易な理由もあったからなのですが。これはついさっき浮かんだネタなので、滅茶苦茶衝動的です。そう、全ての始まりは衝動的です。
---お知らせ---
この企画『飼体と肢体と屍体としたい』は、いずれは他サーバに移転した際に、一挙掲載しようと思ってます。推敲・加筆修正の期間がおかれるので、いつになるかはまだはっきりと決まってはいませんです。移転が決まれば、このダイアリーに掲載された分は全消去するつもりでいます。それに乗じて、この「俺の生き様を踏んで行け」も消滅することと相成ります。
それなりに長い期間この世界に身を置かせて頂いた僕から、最後に挨拶を申し上げませう。
応援してくれた皆さんや、リンクを貼っていただいたオリバトサイトの皆様、本当にありがとうございました。さようなり!
かしこ 2004/12/12 ホム
では『飼体と肢体と屍体としたい』を読みたい方は
コチラ
飼体と肢体と屍体としたいけど無理
---Ⅷ---
小鳥がピーチクピヨピヨパヨピョと囀り、いい加減にうるさくて眠る気も失せてくる。昼休みになれよ早く。そうすれば弁当が食べられるのに。そこでその思考を改める。ああ――しまった。もう弁当、というか寮母さんに作ってもらったマズイ弁当はもう残さず早弁していたのだ。
四時間目の国語。栗田弓子ことドングリが、延々と村上春樹の良さについて語り続けている。今は、寝ても良い時間なのだ。ドングリはどっぷりと自分の村上春樹ワールドに漬かってしまっているので、自分が寝ていたって気づくわけが無い。柚木耶もトッキーも加奈も瀬能も彩も六樹館も多分眠りこけていることだろう。
「だーからぁ、『風の唄を聴け』で春樹が言ってるように、世の中には完璧な文章なんて存在していないわけ。完璧な人間が存在しないようにね」こんな調子でドングリの村上春樹トークはエンドレス。「春樹はぁ、独自の世界を静謐に築き上げることに時間を掛けすぎたのよ。もしくは、書くことに対してふっきれなかったっていうか、用心深かったっていうか……」もうわかった。もうわかったから、早くチャイム鳴れ。鳴ってくれ。
ポーンパーンポーンポーンと間抜けなチャイムが教室に響き渡った。ドングリはズボラ加減丸出しの声で「ああ! あら、あららさんだわ! 今日も春樹の魅力について語りすぎちゃったかしら。まあ、みんなテストの時には、問題文も春樹から引用してくから、予習は忘れないようにね。では以上。午前の授業終わり。ランチタイムでエンジョイです。ではきりぃつ」誰も立たない。「れい! ありがとうございましたーん」ばたばたと足音を立てて教室を出て行くドングリ。ドアは開きっぱなし、閉めもせずドングリは教室から消えた。ランチタイム。飯がないから、彩の豪華弁当でもわけてもらうとしようか。どうせ柚木耶も早弁だろうし。
人数が人数なのでちっともすんとも騒々しくない教室は、いつもと何も変わらない。何も変わっていないのだ。彩が弁当を包んでいたエプロンを外しているところに、自分と柚木耶はハイエナみたいに寄ってたかっていく。
「午後の授業なんやったっけ?」たこさんウインナーを摘まんで口に放り入れている柚木耶が唐突に訊いた。「最近、忘れっぽくてなー、何や時間割まですっからかんやでよ」
「体育だよ。体育。あー、また散策かなー。」彩がもう満腹といったジェスチャーを手を腹に当てて示す。「ここんとこ、ザリガニ釣りばかりでうんざりしてくるよー。前なんか臭いから嫌って直訴したら、じゃあ田んぼでドジョウすくいやろうかとか言い出したし。あの人絶対おかしいよ」
加奈と優希が仲睦ましげに、お互いの弁当を交換し合っている。時宏は、物憂げそうに窓外の景色に目をやっている。弁当はどうやら持ってきていないらしい。六樹館有栖が、そんな時宏に近寄っていって「お腹がすきませんの?」と云って教室から時宏を誘い出そうとしていた。時宏は軽く頷くと、席を立って優雅な足取りの有栖と共に教室から去っていく。やがて自分と柚木耶も彩の弁当を食べ尽くし、腹ごなしに外へ出てサッカーでもしようということになった。彩も誘ったが、眠いと云って断られたので放っておく。加奈と優希はまだ弁当を食べている。
「行こうか、柚木耶」
「そやな」
教室を駆け出してどっちが先に校庭へ着くか競争を開始する。
二人はまるで、明るい天使達のようだった。
天使だったのかもしれない。
*
午前様は暑くて虫も熱中症になるほどの熱気も、午後に入って少し和らぐ。校舎裏。校舎が真上の太陽を上手いよう遮ってくれるお陰で、心地よい風が通り抜けることを体感できる。軽い陽光はツタが大量に纏わりついた校舎の木製の庇によって、大部分がシャットアウトされている。裏山の木の幹を削って作られた長方形のベンチは、何年か前の卒業生がここに残してくれたものだった。もしかすると、その卒業生もこうして静謐でいて優雅なランチタイムを過ごしていたのかもしれないな、と有栖は少しロマンチックな思考に耽る。先程から隣に座っている時宏は言葉を発さないが、黙々とクロワッサンをたいらげていく。既に三個辺り消費されている。
「佐藤君は……毎度のことだけど、何故お弁当を持参してこないの?」有栖は、軽く言葉のジャブを放つ。微かに横目で微笑みかけるという付加効果も忘れない。「面倒だから?」
「面倒くさいから、食べる時間をずらしてるだけ」四個目のクロワッサンをたいらげに掛かる。「朝と帰ってからと夜にしか食べないようにしてる」
「私がこんなことを云うのはお節介かもしれないけれど……」そこで間を置いて、少し時宏の反応を見る。いつものことながら、時宏は自分のことを他人事の様に話すので、有栖は少しいじらしかった。「お母さんに作ってもらえば良いのに」
「母さんも同じような生活習慣だから、無理だよ」その言葉を聞いて、有栖は溜息を吐く。「ねえ、ところでさ」珍しく時宏が話題を振ってきた。「なんで、ずっと付き纏う?」
そう言われてみれば、何故有栖はこうしていつも休み時間、昼休み、放課後を問わず時宏とばかりここへやって来ているのだろうか。教室にいても特に有意義だと感じないからか。じゃあ、暇つぶしをしているのだろうか。では何故時宏だったのだろうか。付き纏う、と云われてもあまりピンと来ない。自分では、ただ何となく時宏を誘っているだけだ。もしかしたらやましく思われているのかもしれない。何故、自分はこんなことをしているのだろう。何を時宏に求めているのだろう。自分には兄という最愛の相手がいると言うのに……。閉口してしまう有栖。時宏は喋らないので、静謐な空気がその場を支配する。時宏と二人でいる時、誰もが何か切り出さなくては、と考えてしまうだろう。何故かそんな、話さないといけないようにさせる力が、時宏にはある。勿論、自分が時宏に心を開いているとは思わない。とりわけ自分のことを話すわけでもない。逆に時宏が何か自分のことについて喋ることなど有り得ない。
「じゃあ、なんで、断らないの? 私といるの嫌なんでしょう、本当は?」かまを掛けてみる。「付き纏うなんて云われるのはこっちとしても心外です。誘ってあげたのですよ、私が」
「断る理由が無い」
「じゃあ、何故そんな付き纏うなと……云うの?」
「六樹館さんが何度も誘うからだよ。別段、断る理由もないし。ただ、誘うこと、それ自体に対して、どうしてなのかな? って思っただけだよ」時宏はクロワッサンを完食してごちそうさま、と云った。
「わからない」有栖は呟く。自分の感情に解釈がつかないのだ。「単なる衝動かもしれない」
「何の衝動? 六樹館さんは僕に何かしてほしいから、いつもここへ来るの?」
「もう良いわ。ごめんなさい。何が何だか……」有栖は眩暈がしてきた。自分が何を云っているのかも曖昧で不全としている。「とにかく貴方に、何かこう……」そこまで云って有栖は自分の顔が熱くなっているのに気が付く。時宏が薄目でこっちを見つめている。
有栖は震えた。
「触れて良い?」
質問に対し返答する前に前に、自分の肩に時宏の手が触れていることを認識する。
何だろう。
心地良い。
「はい」
拒絶しなければいけないはずなのに、躯がそうすることを拒んでいるのか。時宏が、後髪を撫でた。そんな時間が数秒、数分と過ぎ行くうちにやがてけたたましいチャイムの音が鳴り響く。
「もう、こんな時間か」時宏が耳元で囁く。「気持ちは落ち着いた? 大丈夫?」
有栖は躯をびくりと震わせて、何故か気弱に頷いてしまう。「大丈夫ですわ」まだ時宏の手が自分のうなじを撫でているからだ。触られることに大分敏感になっている。
そして撫でていた髪から手を離して、時宏が立ち上がる。有栖も遅れて立ち上がる。時宏は、先々と校舎の表へと歩いていってしまった。
有栖は時宏の背中を見据えながら、歩いた。時宏がふとこんな言葉を漏らした。
「あの時のことは早く忘れた方が良い」
あのとき、とは一ヶ月前のホムンクルス事件――狂宴の一日のことを指す。あの出来事を思い出しただけでも、有栖の躯の震えは収まらない。
「佐藤君」
有栖は振り返る時宏にいきなり抱きついた。気が付くと自分の顔を時宏の胸に精一杯強く埋めているではないか。
「ど、どうしたんだよ……おい」
「好きな人がいるでしょう?」
「六樹館さん。今日の君はどうかしてるよ。いつものスマートさに欠けてるというか――」そこで時宏に顔を寄せた。目を瞑る。何をしているのだろう? 本当に。スマートではない。「やめろ……」
「やめて、そんな呼び方。有栖って呼んでほしい。ねえ、お願い。もっと有栖を叱咤して、お願いよ……何をしても構わないから。もう、有栖は駄目なの。もう戻れないのよ」
そっと有栖の華奢な躯を抱きとめる。よくも考えてみれば、まだ中学三年生にしかなっていないのだ、自分は。
「何があったんだよ。全部話してくれ」
「子供よ」
「え? こども?」
「白々しいこと言わないでよ。わかるでしょう? 察してよ、ああ、ああ……どうすれば良いの。もう」有栖のお腹には新しい命が、魂が宿っている。それに気付いたのはごく最近のことだ。「兄の子供じゃないの。誰の子供なのかわからないのよ。貴方は知らないだろうけれど、あの汚らわしいホムンクルスと真野とか言う男に犯されたのよ。汚い精子を中に何度も出されたのよ。抵抗できなかった。なんでだろう。なんであの時……逃げなかったんだろう。それに何故、貴女は私を放って逃げたの?」
有栖の言葉を無視するように、「じゃあ」と時宏が間髪入れず切り返す。
「じゃあって?」
「じゃあ、殺せば良いじゃないか」
「は?」
殺す? 真野を? ホムンクルスを? お腹の中の赤ん坊を? いいやそんなことは――考えたくも無い。時宏にどん、と突き離される。時宏は意外に力が強かった。細い腕からは考えられないほどの。何を殺すのよと言葉を返す。この男は何もわかっていないのだ。途中で逃げ帰ってしまったから。そう思えば時宏も懸命な選択をしたと言えるだろう。有栖はつくづく自分が嫌になってくる。
「記憶だよ。記憶を殺すんだ」
時宏はそれだけを言うと、さっさと校舎の中へ入っていってしまった。
記憶を殺す? どうやって?
(僕だって、そうしてる)
校舎に入る直前、有栖には時宏がそう呟いたような気がした。
気がした?
*
御苑彩は椅子に座っていた時間、じっと思考を巡らせていた。食欲がなかったので、弁当は殆ど暁と柚木耶に恵んであげた。
佐藤時宏との情交で運が良かったのか悪かったのかはあの出来事あの事件から相対的に判断はつかなかったのだが――とりあえず妊娠はしていなかった。あの時、時宏が漏らしていた言葉が忘れられない。
ずっとこうしたかったんだ。
あの一言だ。時宏が自分のことを好意的に想っていたことは確かに理解していたが、まさか何故あんなことを口走ったのか。皆には黙秘していたが、彼には、れっきとした恋人がいるのだ。六樹館有栖という名の少女。あの美しい少女だ。誰よりも気高く、安っぽさなんてこれっぽっちも感じられない気品のある笑顔、誰とも真摯に語り合おうとしなかった彼女と時宏が――寝ている場面に遭遇したことがある。あれはいつだっただろうか。確か、放課後の校舎裏。たまたま用具室の窓から外を覗いた時に、二人は交わっていたのをこの眼で見た。そうだ、事件の何日か前のはずである。立ったまま校舎に押し付けられるように、有栖が泣きながら犯されていた、あの場面。何故かあの時から、いつも有栖と時宏が二人して教室から抜け出した理由も理解がつくような気がした。付き合っていた――なら、どうして時宏は自分なんかを――。そんな時、突如柚木耶の顔が眼前に映し出された。
「どうしたんや、彩? 体育やのに着替えにいかんでええんか?」
「うん、何でかな……さっきからちょっとお腹が痛くて」
*
実質的に庵加奈は真野友哉から一回も犯されはしなかったのだ。ただ、何か舐めあったりはしたものの、正式に結合したわけではなかった。故に、彼の子供が宿るはずはない。なのに……どうしてだろう。自分のお腹には誰かの子供が宿っている、そんな奇妙な予感が何度も頭をよぎっていく。加奈の嫌な予感は何故か毎度決まって当たるもので、それは大抵第六感といった胡散臭いものではなく、何か論理的に現実的に説明がつく事象をいくつか並べ立てたものを頭の中でアブダクションすることによる。だから、何か加奈には自分が今、足りない情報があるのではないかと考えてしまう。先程から随分とこうして今、隣を並んで歩いている優希とそのことについてディスカッションを交わしているのである。加奈は少し気分が悪くなったので、午後の体育は見学にするつもりだったから、服装は普段着のまま。上はパーカー。下はだぼだぼっとしたパンツを穿いているわけだ。優希は体操をしやすいよう、無地のTシャツにハーフパンツ。今一度言っておくが、辻坂に体操服やジャージといった決められた着衣はない。校舎を出て、ゆっくりと校庭のいつもの集合場所へと向かっている途中だった。いつもの集合場所とは、緊急増設された花壇の前のことである。
「私やっぱり、あの事件以来神経過敏気味かもしんないよ」加奈はふとそんな言葉を漏らす。優希が囁く。「『加奈はいつもそうじゃないですか。あの事件が原因じゃないです』って? あは。私ってそんな影の濃い女にいつも見えてるわけ?」優希が慌てふためいた様子でまた囁く。「『奈落よりも深いですよ、加奈は』だって? おいおいー微妙に陰のある皮肉か? そんなこと言うと蹴るいー」軽く冗談で蹴りを入れる加奈。それは非常にゆっくりとした蹴りだったが、優希はお構いなしでまともにくらっている。「よけるってこと覚えなよ、ちょっとくらいは……」加奈がそう言うと「避けても当たります」とぼそっと蚊の鳴くような声でそう言った。
*
「えーっ、何なのよ。二人も見学ってわけ? これじゃあ、自然散策兼オリエンテーリングという有意義な活動時間が果てしなく無意義になっちゃうじゃなーい」
「ちょっとお腹が痛いから、何もしないのがちょうどいいですね。ぽかぽかしてて」
「ああ。先生、また校庭の小石拾いはもうやめてくださいね。腰痛になるし。私、最近躯がダルいんですから」
「そやそや。もっとボール運動しようや。ドッチボールとかええやん。スーパーバトルドッチボール並に、白熱の予感やでよ」
栗田弓子は、実はそんなことより気になることがあった。まだ全員揃っていないのだ。佐藤時宏と六樹館有栖の二人がまだ校庭の花壇前にいない。
何よりここ最近、一ヶ月くらい前からだろうか。三年の七人の皆に異様に元気がないのである。この間、元気がないよねーと庵加奈に問いただしてみたところ「ああ! 健康な人は良いですよね。周りの人の健康を吸い取って生きているんだしー」と冷たい一喝。まあ彼女はいつもがあんなんだったから、これが平常だと言えるかもしれない。沖田暁も「お前が元気すぎるんじゃ」との一言。全くだ。自分の躯にはどこにも欠陥はないと胸を張って言いきれる自信はあった。卓柚木耶には「そろそろ夏休みも近いから」と軽く流される。夏か、そうか……。執心だった佐藤時宏も無言が返事。これはまあ猛暑だからかなと何となく予想はしていたが。どうしてだろう。何か自分が知らない間に、人間関係に罅割れがあったとか。そこはかとないドラマティックなシーンが展開されていて「貴女の座る席なんてもうどこにもなくてよ」なんて言う六樹館有栖の姿が目に浮かぶのも気のせいだろうか?
「今日は、昼寝でもしましょうかね。ぽかぽかとしたお日様の下で寝転がって、一時間は日光浴ってことでー」
「賛成!」柚木耶が言った。「ああああー、久しぶりにまともな時間が過ごせるわー。なー、暁?」
「ふふ。柚木耶、一緒に寝よっか! よいしょっと」暁が柚木耶に寄り添うように、いや密着するように体を寄せて校庭に寝転がる。正確に言えば、ここは校庭ではなく、校庭の中にある大木の日陰の中だが。「それはあかんて。だめだめ」あれ? あっくんてこんなキャラだったっけ? まあいいか。
「やったやったー。睡眠睡眠。おやすみなさいー……いー」加奈もはしゃいで喜んでいる。優希は直立した姿勢でそのまま寝転んでいるから、亡くなった人の遺体みたいだ。目を瞑っている。なんだ、みんな元気じゃん。やっぱり気のせいかな。
「私、ちょっと佐藤君と六樹館さん探してくるね。気になることもあるし」
弓子は校舎に向かった。全く、けしからんことこの上ない。二人で一体何をしているのだろう? もし佐藤君とえっちなことなどをしているものなら無条件で六樹館有栖は「殺すリスト」入りが確定する。そんなことありえないけど。
*
屋上の片隅。ちょうど校庭とは反対側である為、体育をしている生徒からも見えない位置。
金網に有栖の胸を押し当てるようにして、後ろから立ったまま犯していた。何度も上に突き上げるような動きを、時たま胸や乳頭を揉みしだいてやる程度。ああん、という淫靡な喘ぎ声を上げている有栖。もう何分くらいこうしているだろうか。少しだるくなってきた。有栖がしてほしいと言ったから、こうしているまでなのだが。何かちっともそういった情欲が湧かない時宏だった。有栖はこうして何度か、衝動的に後ろから立ったまま犯してほしいと懇願することが幾度かあったのだ。情欲を湧かない原因として大きなものの一つとして、時折喘ぎ声に「お兄ちゃん」というある固有の人物名が混ざっていることだった。これでは興冷めだ。しかし相手が果てるまでは、何度自分が達してたところでそれが終わることは無い。
「おにいちゃん、あっ、あっ、あっ。そろそろ。きもちいいっ! ああんっ……ああ、はあっ……はあっ」
十分くらい経ってからか、ようやく有栖が果てると、有栖はその躯をコンクリートの地面にぐたっとへたらせて仰向けに倒れた。やがて上半身を起き上がらせると「ありがとう」と一言だけ言って、屋上から去っていく。彼女の後姿が遠ざかっていくと、時宏は少し溜息を吐く。犯されていた時の態度とは全くの別人である。時宏にはなぜか彼女に兄がいるようには思えないのだ。いつも兄の話なんてしないし、家でどういった話をしているかと訊いても軽く無視されるだけだ。
おそらく、有栖はそのまま着替えて体育の授業に参加しにいくのだ。時宏はその場に立ち尽くして、ふと自分がついさっき犯した有栖が皆の輪に入っている姿を想像して、興奮する。自分が犯した女なんだよ、いつもしてしてお兄ちゃん後ろからって懇願してくる女なんだよ、と皆が知らないことを心の中で一人独占できているかと考えると……そこが快感だ。だから、彼女との関係は切れないのかもしれないな、と時宏は想った。しかし自分が想いを寄せているのは有栖ではなく、御苑彩なのは事実だった。
だった。だったから? だったから、だ。
その彩ともこの前――あの事件の夜、滅茶苦茶に犯して犯しまくったけれど、何も感じなかったのだ。気持ち悪い感覚さえ覚えた。六樹館有栖の持つ気品とは違い、彼女には平々凡々とした気品が感じられるのだ。何故か、そんなところにいつも欲情していた自分だけど、今考えてみれば盲目だったのかもしれない。
誰だってそうかもしれない。いつも欲情したりする対象と躯を実際に交えることになったとしてもだ、あまり興奮はせず今までシミュレイトしてきた行為に集中するあまり、楽しめなくなる、快楽を覚えなくなるのではないか。むしろ、シミュレイトするという行為から、自分がその対象が犯されている場面を客観的に眺めたいだけなのだろう。例えば、御苑彩が見知らぬ男達に輪姦されるシーンが見たいと思うときがある。実際、そんな風なことを想像しながら果てることもしばしばだ。
まあそんな状況こそ有り得ないことの方が多いのだから、無いに等しいのだが。あの状況は極めてレアだったと言って良い。催淫剤が自分をあのように追い立てた。そして心から腹を立てたのだ。説明のつかない感情だった。気持ち悪い、だからぶち壊す。そんな感じの。勿論あの時は狂っていたはずだ。
後から有栖に聞いた話では、有栖はホムンクルスと真野という男(最初の説明の時にいた男が真野と言うらしい)に中出しされたらしかった。新しいホムンクルスには強姦された、真野としている時は自分でも躯がおかしくて何が何だかわからない状態だったそうだ。自分からあの時危険を察知して逃げたのが身を救ったのだ。あのまま留まっていたらどうなっていたか、想像がつかない。
それよりも気になるのが、ホムンクルスと真野という男の行方だ。どちらにしてもあの事件後から、姿を消している。まるであの出来事が幻であったかのようだ、と時宏は想ってしまう。本当はホムンクルスなんて人間もいなく、真野という人間もまやかしで、凡ては夢なんじゃないかと。そう思うのだ。
「あれ? そこにいるのは、佐藤君かな?」
誰かの声が聞こえてきた。校舎へと続く入り口側の壁からひょこっと顔を出したのは、担任の栗田弓子だ。ということは、有栖は弓子と上手い具合に見つからずにすれ違えたのだろう。
「なんだ、先生か」
「なんだじゃないでしょ。なんでこんなトコにいるの?」問いただすといった語気はなく、あくまで好奇心からそう訊いているような節があった。
「ちょっと、景色を眺めてたんだ」
「まあ、ロマンチックねー。じゃー、私も一緒に……眺めても良いかな?」
「良いですよ」
強い陽光が屋上を容赦なく照り付けている。金網越しの景色を、二人はじっと無言で眺めていた。弓子が一瞥したりするのもわかっていた。
「あの、思ってること言っていい?」
「良いですよ」
「佐藤君って好きな人とかいるの?」
「それと同じ質問をしてきたやつがいますよ、ついさっき。誰かは言えませんけど」
「ふうん」
「今はいません。ここだけの話ですけど、僕って結構フラれやすいんですよ」
弓子は嬉々とした表情で、ぶんぶんと横に首を振った。本当に教師か? と思うときはよくある。多分、教師ではなく先生というのが正しい見方だろうが。
「このクラスってカップルがいないんですよね」時宏はふと思いついたことを口に出してみた。「庵さんはあんなんだし、瀬能さんもちょっと常識を逸してるし、男子は男子でみんなおぼこいだけです」
「そうかなあ。加奈ちゃんは案外いけるくちだと思うんだけど……」
「ははは。彼女は猫被りのプロですから。本性はもっと、こう、何て言うのかな深い感じですよ」
「私ね、みんながあんまり楽しそうにしてるもんだから、そういう部分までは見つめようとは思わないんだよね」にこにこして話す弓子。「だからさ、最近何て言うか皆暗いから、ちょっと心配で」
そうだ。まだ弓子にはあの事件のことは誰も口外していないのだろうか。今、言えば警察沙汰になる可能性はあるが、逃亡したホムンクルスや真野の行方を捜すことに関しては前向きな感じだ。
「そんなことは――」と言いかけた所で、校庭の方から悲鳴が上がった。
あれは間違いなく、確実に、六樹館有栖のものだ。時宏は、一瞬で判別できた。さっき躯を交え、声も間近で訊いていたのだ。間違えるはずが無い。
弓子が一気に駆け出す。校庭へ降りる気だろう。先に様子が少し気になったので金網から校庭を一望する。すると、校庭の花壇の辺りだろうか、一人の男が皆が寝転んでいる(何故、寝転んでいるのかはさっぱりだ)場所をじっと眺めた後、ゆっくりと近づいていくのが見えた。
あれは間違いなく、真野友哉だ。事件の首謀者だった真野友哉がまた学校を訪問したのだ。
*
「やあ。久しぶり。うだるような猛暑の中、昼寝ごっことは」ひゅうと口笛を鳴らす真野。「流石クリボーが担任なだけはある」
「ああ……! もう、何をしにきたのよ。今すぐ警察に電話します。待っていなさい!」有栖が悲鳴をあげた時と打って変わり怒髪天を衝く勢いで真野を睨みつけ威圧する。眼で殺すってやつだな、と真野は思った。
「じゃあ何で警察に言わなかったのさ? 僕としては嬉しい限りだったけどね。警察の目を気にしないで良いから、動きが取り易かった。ああ。それと、話しておかなければいけないことがまだある。それを訊いてから通報でも何でもしてほしいな。まあ、そう簡単には捕まる気はさらさら無いけれど」
「どこに行方を眩ましてたんだ?」多分この金持ち娘のことだから、独自に探りは入れてくるぐらいのことはしていただろう。「言いたいことは山ほどある!」
「やだなぁ、有栖ちゃん。行方なんて眩ましていないよ。ただ、ちょっと調べごとをするのに全国を奔走してただけさ。案外根に持つタイプだね、結構。まあいいや。とにかく、ここは熱いから中に入ろうか、みんなで。そこで寝てる子達を起こしてやってくれないかな?」
ちょうど栗田弓子が校舎から出てきて、こちらへ向かってくるところだった。
「あら、真野? 真野じゃないの。久しぶりね」
何も変わってないなぁ。四年前から。
しかしそんな彼女の顔も、これで見納めになるなと何となく予感はしていた。
「さあ、行こうか」
「待て!」
有栖の罵倒は無視して、校舎の中へ先に入ることにした。
*
飼体と肢体と屍体としたい
---Ⅶ---
教室の前方から広まった霧状で異様な臭気を放つそれは、今や教室全体を埋め尽くそうとしていた。ホムンクルスの高笑い。そしてそのホムンクルスに突進していった瀬能優希。真野友哉はじっとその様子を観察している。卓柚木耶は口と鼻を手で抑えて必死に、薬を吸い込まないようにしている。何かぶつぶつと呟いたまま机に顔を伏せている沖田暁。六樹館有栖はただ俯いているだけだ。庵加奈は、何か声を揚げて笑っている。狂ってる! みんなどうかしてる。
佐藤時宏は、阿鼻叫喚となった教室内から脱出する為、鍵が何かで固められ開かず密封されていた窓ガラスを割って外へと飛び出した。ここは二階だったが途中に僅かな庇があって、その上に一度着地してから一階の校庭へと飛び降りた。そして校門の外へと向かった。今、時宏は走っている。背後の校舎からは高笑いと悲鳴が一層強くなったように思えた。でも、それを距離を遠ざけていくと段々小さくなり、やがて学校を出て、石段を降りたところまで来ると完全に聞こえなくなった。もう振り返らない。もう振り返りたくない。もうあんな所にいるのは御免だ。頭がどうにかなりそうだ。時宏は右も左もわからない、何処へ向かって走っているかさえもわからなかったが、とりあえず走った。走るしかなかった。これで、もう何もあんな気色の悪い世界とはおさらばできる。サヨナラだ。御苑彩を犯した自分は狂っていた。狂わされていたのだ! したかったから、やりたくて、ああなったんじゃない! 確かに自分は御苑彩のことが好きだった。犯したかった。でも、あれは薬か何かで頭がどうかしていたんだ。もう忘れなきゃ。もう。もう。もう。もう。彼女も忘れているだろう。彼女も薬か何かで狂わされていたんだ。もう忘れているだろう。
時宏は、走った。当てもなく果てしなく止め処なく頬を伝う涙など気にせず、とにかく走った。
*
饗宴ではなく狂宴。狂った宴。
卓柚木耶は、俯き加減に笑っている。そんな柚木耶の躯を愛撫している女。六樹館有栖。抵抗はしない。柚木耶は、正常だった。息を止めていたから。有栖は橙色のワンピースも、カルピスウォーターみたいに純白の下着も、上等そうなローファーも、魔女の色みたいなハイソックスも、衣服と言う衣服は全て脱ぎ捨てた。そして、裸と言う言葉の通り素っ裸になって、柚木耶の膝丈までしかないジーパンのジッパーを下ろし始めた。有栖が座している柚木耶の上に乗りかかるように、交尾の体勢に移る。柚木耶は息を止めている。まだ大丈夫。最高記録は三分二十五秒。まだ一分も経っていない。柚木耶は見てしまった。有栖の顔が快楽に歪んでいる場面を。見るだけで嗚咽しそうな、たちの悪い下品な官能小説のワンシーンのような台詞を聞いた。腰を激しく上下にピストン運動させる有栖。情けない。実に情けない。彼女は情けない。一応そこはかとなくいきり立ってはいる自分のものが有栖の幼い小さな穴にずぼずぼと出入りしている様は、実に滑稽であり、存在さえ虚しかった。いや、行為さえも。ふと、視線を横に逸らせば瀬能優希が何か庵加奈に下半身同士をくっつけあっている。突如、そこに真野友哉が割り込んで、優希を力任せに押し倒して、殺人猛牛が闘牛士を角で突く勢いで、交尾を開始する。加奈もそれに加わって、快楽に喘いでいる優希の顔にない胸を押し当てては顔面を嘗め回す。汚い。汚らわしい。有栖の上下運動が邪魔で暁がどうなっているかまではわからないが、この調子だとホムンクルスとあれそれなことをやってしまうのだろう。何だか見たくは無い気分。気になったので、それに息も苦しくなってきたので、はたまた高速エレベータの如く上下する有栖に全く快楽を見出せなかったので、有栖を両手で床に突き落とす。お兄ちゃん、もっとしようよ。もっとしなきゃ。もっとするんだよっ。とかわけのわからないことをほざいている。ああどうでも良い。お前は真野とでもやってろ。お兄ちゃんっ、もっと突いてよっ、ああ、もう気品の欠片も糞も小便も出ない。柚木耶はしがみついてくる有栖の腹に思い切り蹴りを入れてやった。痛覚が麻痺しているのかそれでもお兄ちゃん蹴ってもいいからもっとしようよ殴ってもいいよっ、もっとしようよぅ。この女語彙ってもんがねえのか糞。したいしたいって、死ねよ全く。そもそもお前みたいな貧相な躯の中学生なんて眼中にないんだよこっちは。Cもないその胸を揉みしだく気なんてさらさら無いに等しいんだよこっちは。更に二三発蹴りを入れてやるとようやく、蛇のように絡み付けてきた腕を離したので、暁がどうなっているのか白い霧が拡散した室内をよく眼にこらして観察する。優希と真野と加奈が三つ巴で何がなんだかわからない合成生物みたいに重なり合って、ことに及んでいる。有栖は柚木耶を諦めたのかその合成生物の中に加わろうとしているが、中々合成できないでいる。ジャンプしたら割れそうな床。明治時代から使ってるんじゃないかと想起してしまうぼろい机。何故か椅子だけは新品。黒板。教卓。後ろにきん肉スグルの下手な落書きが残っている連絡用の黒板。
あれ?
暁がいない。どこに行ったのだろうか。ホムンクルスと暁の姿が見えない。一体、どこへ。そこら中で原始的な行為に及んでいる塵共を無視して外へ出たのだろうか? 否、催淫剤が効いているはずだからそんなことはありえないはず。教室の外から暁のものと思われる唸った声が耳に飛び込んできた。外にいたんだあの馬鹿。柚木耶は駆け出した。そして教室の外へと飛び出した。そして溜め込んだ二酸化酸素を一気に吐き出し、同時に新鮮な酸素を体内に注入した。「暁っ」思わず名前を叫んでみたが、廊下に暁とホムンクルスの姿は見当たらなかった。
*
沖田暁は二階の階段を更に上がり、「立ち入り禁止」の札が吊り下げられたロープを跨いで、屋上への扉を開く。夜。月は出ていない。当たり前だ。さっき降り出した雨で、空は奈落へと続く闇よりも暗い。何も見えない。空を仰いで顔を雨粒に晒してみる。降雨量が増加してきているのか、顔を叩く水滴の勢いも洒落にならない。こういうのは……夕立ではなくて、なんだったっけ? わからない。わからなくても良い。火照っていたであろう顔面の熱が冷たい雨粒により放熱され、気持ち良かった。まるで今まで溜め込んでいた膿が、この顔から滴り落ちる雨と同時に洗い流されていくようだった。思考の洗濯。命の洗濯。魂の洗濯。そんなフレーズが思い浮かぶほど、快適だった。もう、忘れていたことも全て思い出せた。もう一人の自分も諦めて、現世の自分から遠ざかっていった。もう、忘れない。何も忘れない。
「もう、良いかい?」いつのまにか、そこに存在していたのはホムンクルスという男だった。教室を出た自分を不信に思ったのだろう。ここまで、ついてきていたらしい。「何をする気だよ、こんなところで。君にはあの薬の効果がなかったのかな。優希や六樹館のお嬢様。上玉があんなに淫靡に狂っているはずなのに。絶好のチャンスなんだよ? 二度とあんなこと出来ないんだよ? どうしてやらないのかなぁ、と興味が湧いた。だから僕はここまで来たんだが。んん……それとも効果が著し過ぎて、頭がおかしくなっちゃったのかな」
薬の効果……そんなものは、今の自分には無関係だ。無関係すぎるほど無関係だ。薬なんて関係しない。今は、どうにかして、今の気持ちを整理することに、安定させることが必須項目なのだ。あんな女達を犯すことに興味がない。ましてや、嫌がる相手を犯すのならまだしも、ラリった痴女を犯すなんて、ただのキチガイ共のやる理性の腐食した行為だ。そんなものに意義がない。快楽は存在しない。あるのは、原始的な本能だけだ。射精。射精。射精。絶頂。絶頂。絶頂。狂っていない自分には無関係だ。
「どうしても思い出せなかったことを、ふと忘れていたことを、何年か経って急に思い出せた時、そんな時、気持ち良い気分でしょう。ええ、だって、俺は、今全てを思い出せたんだもの」口調まで変わっている自分に気づく。ホムンクルスはにやけながら濡れきったスーツを脱ぎ始める。そして裸になると、暁に飛び掛った。軽くいなして足払いをかける。簡単に転んでしまうホムンクルス。「あははぁ、やめろよ。そんなにかっかするなよ。楽しもうよ」話を聞かない屑野郎め。顔面に本気で蹴りを入れてやるが、まるで手応えがないかのように振舞うホムンクルス。肩を竦めて、四つんばいでこちらへと向かってくる。またそこで本気の蹴り。しかしその蹴りは空を切り、逆に相手に足を掴まれてしまう。軸となった足を強く引かれて、仰向けに倒れる自分。そして、上に覆い被さってくる裸のホムンクルス。「もう、逃がさないよ」必死の抵抗も異常な腕力を誇るホムンクルスには無意味。服を千切られ、ズボンを下ろされ、これではやりたい放題だ。そんな時、突如ホムンクルスが眼を白黒させて、ああああと叫び悶える。そして更に何かごつんと言う鈍い音がして、ホムンクルスは自分の横に倒れ伏せた。後頭部からはどくどくと血が流れ出している。このままだと死んでしまうだろうが構わない。気が付くと頭上に、そこに血濡れの鉄パイプを握った柚木耶が立ち尽くしている。どうやらその鉄パイプで、この痴獣を殴り殺してくれたようだ。「大丈夫か? どうしたんや、いきなし」柚木耶が気遣いの言葉を二三言吐いたが、そんなことは気にせず、暁は話し始めた。
「訊いてくれよ、柚木耶。俺、今まで忘れてたこと思い出せたんだ。すげえだろ。言葉だって気が動転して関東弁に戻ってるしな。ああ、ごめん。とにかく今からする話、じっくりと、最後まで訊いてくれるか?」
柚木耶は少し戸惑った様子だったが、やがて「ああ」と言った。柚木耶の幼い顔が雨で濡れて、普段よりもエロティックに見えた。だがそんなことよりも、自分の話したい事のほうが先決だ。我慢。自制。また、ここで柚木耶を押し倒してみても、どうにもならない。下ろされたズボンもまずは上げて……剥がれたシャツも一応着れるから着ておいて……と。
暁は長い長い物語を、どしゃ降りの雨の中柚木耶に語り始めた。
その物語は一時間やそこらでは終わるはずもなかったし、朝日が顔を覗かせるまで、続いた。ホムンクルスと呼ばれた男は、出血多量頭部損傷で既に息絶えていたが、全く気にしていない様子で、話は終わることを知らないかの如く、自分でも永遠に続くのかと思ってしまうほど語り尽した。
お腹いっぱいになるまで。
*
「そろそろ帰ろうか」「そやな」「眠いし、もう学校いく時間まで、三時間も眠れないけどね」「そやな」「柚木耶」「ん?」「僕のこと、どう思う?」「ああ……」「ああそう、って何だよ」「ああとしか言ってへんけど」「好きなものは好きなんだからしょうがないだろ」「そんな名前のゲーム、確かおまえんちでやったことあったよな」「好きしょのことか?」「うん、それ」「どうなんだ? 返事をしてくれないと、わざわざ自尊心まで置き去りにしてストーリーをめちゃくちゃに破綻させた言動ともとれる自分が酷く馬鹿らしいじゃないか」「お前そんな小難しい言葉使って……ああ、三十円の黄粉餅のオブラートみたいに気色悪くて敵わん」「元々、こんな性格だったんだよ。どっちかってとあの三十円の黄粉餅は食べにくいし味も微妙だし、誰が買うのか需要があるのかと思うくらいの商品だから嫌いだけど。たらたらしてんじゃねぇよが好きなのさ、おいらはよ」「うわキャラ変わってるし」「まあ、どうでも良いけど」「どうでもいいことを言うのが好きやな、暁くん。じゃなかった、ホムンクルス君よ」「で、どうなの。ここまで訊いたのならはっきりさせておくのが後の関係発展にも破壊にも繋がる大きな一歩だと思うんだが」「好きとかわからんなぁ、しょうみなところ」「賞味期限の話? ああ、そんなのどうでもいい」「もう、何かどうでもいいし」「そんな、曖昧な態度だ」「小説みたいな科白吐くなって。マジキモイぞ」「小説なんだから仕方ないだろ」顔を膨らます暁。「マジでキモイ」「マジキモでもスナキモでもマジでキモくてもいいから、とにかく好きって言ってくれよ」そこで柚木耶に体当たりする暁。「好きって言葉に対する蔑視やで、そりゃ」柚木耶がやれやれだぜと呟きながら肩を竦めてみせる。「ああもう、素直じゃない」「なんなんやお前。前の暁の方が良かったわ。可愛気があってな」「僕は暁だよ。沖田暁」「もう、ほんとにどうでもよくなってきた。勘違いすんな? ほんとに、やよ?」「わからないことをどうでもいいとか、気持ち悪いという解釈で済まそうとする人間だったか、柚木耶よ」「…………」「無言が返事ってわけか。無視は最大の防御なり、って言うからねぇ」「何の影響なんや……」「六樹館有栖」六樹館有栖は無視が上手だったはずだ。「そう言えば、あいつらはほっといていいんやろか。ほんまに」「経験上、即効性の薬の効果は実質的に一時間か二時間くらいだった気がする」「気がするって……まさか妹で試したんじゃないやろな」「秘密」「おいおい。言いたいこと言って、逆の立場になったら煙に巻くんか」「秘密ってのはね、秘密だからこその秘密なんだよ。秘密が秘密でなくなった場合、秘密によってもたらされる芸術性とかが凡て失われてしまう」「芸術じゃないわい。抽象的な話やな」「柚木耶もその関西弁さえ直せば」「関西弁じゃなくて神戸弁。間違えるんじゃねえよ」「今のギャグで言ったの?」「ギャグなんて今時死語というか飛語やね。あ、揚げ足とられんのややから死んだ後ってことじゃないから一応」「あ、戻っちゃうの? つまんないなぁ」そこでぴょんと飛び跳ねる暁。「お前が可愛さを強調しても似合わん」「まるで自分が似合ってるって言いたいみたいだね」「飛躍しとるし。あのなぁ、可愛さや美しさなんて自分で認識するもんやあらへんよ。客観的に見た場合に成立する宇宙の法則なんや」「京都弁もなんか混ざってるし。宇宙の法則ってそんなもん存在してないよ。森羅万象で存在を立証できるのは、人間だけだよ。根拠、コギト・エルゴ・スム」「我思う故に我在りか。なんかいかにもかぶれてるって感じな発言やでよ。庵や六樹館共が異論を申し立てそうなくらい可哀相な結論やで」「根拠なんてものを考えるから、純粋にものを見れなくなるんだよ。根拠も立証も、凡てはお話を長くするだけの色眼鏡に過ぎない」「本人の意志が本人には絶対なんやし、それは多少書き換えられたとしても、最終的な意思決定は本人やからな。どうとでも言える。回答は無限や」「無限……そうだね。無限だ。無限と考える一方で無と考える手もあるけど」「いきなり批評的になるけど、こうした論議で何かにつけて言葉自体の価値観とか定義付けを論議に持ち出す、頭の中で思考するってこと自体が、酷く虚しいことや。達観し過ぎっちゅうか、現状を度外視してる。人が認識している上位概念ほどどうとでも解釈がつくからな、帰結する場所が存在しない。意味の意味を問うようなもんやでよ」「ふふふ。そこまで考えてたのか。でも意味の意味は結構研究されてるみたいだよ。無意味の意味とか」「意味の意味の意味の……エンドレス。時間の無駄」「無駄な時間じゃないよ。ただの時間だよ。そんな風に、人間は概念を増やしすぎているんだ。他人に説明する為にね」「わからんよ」「じゃあ、こういうのはどう? 僕が柚木耶に対して何らかの反応を示して欲しい、そう期待してこういった話を持ちかけた可能性で今喋ってるってのは。これは誰もが無意識のうちにやってるのに、案外そういった議論中は盲目のシーラカンスなんだよね」「比喩の用法がおかしいぞ……いや、これもオッケなんかな。寛容に受容されるかは世代の差による。相手を想定した場合の可能性か。そっちの方か。ああ、何かもうそっちもどうでもいいよ。今、しんどいから過剰に反応示す元気もないし」「逃げるのか?」「ああ、逃げる。イスカンダルまで逃げる」「で、イスカンダルまで追いかけてきたら銀河鉄道の三つ数字が並んだ汽車に乗車してロボットになりたい少年と胡散臭い車掌と金髪のお姉さんとまた逃亡するんだね」「…………」「遊星間ワープでひとっ跳びして、すぐに追いついてやる」「最後に勝つのは逃亡者って筋書きは決まっとる」「最後にはお互い心を開きあって、そんでもって……」そこで暁はくるくると回転する。求愛信号だろう。「帰ろうや。ってかお前んちやん、ここ。きづかんうちにここまで来てたとは」「泊まっていきなよ」「泊まらない」「泊まってくれなきゃ刺す」見えないナイフを柚木耶の腹に突き刺す。「うわ刺しよったし。いたたた。こりゃ、自分の家で寝んと治らんなぁ」「ケアルガ! ティロティロリン」「FFのシステムは邪道や。RPGとしては。簡単すぎるし」「ユーザに優しいから売れるんだよ。ユーザに支持されるゲームを作るにはね、大多数のニーズをいかに把握してるかが肝要なんだよ。ブランドやレーベルで選ぶ人もいるだろうけどねー。でもッ優しくないゲームは、売れないんだよッ! これ基本だよ! 要チェキだよっ!」何故か社会問題化している十代のキレる少年の如く、声を荒げる暁。「ああ、はいはい」「で、来るんだろうね?」「それでも止まらない」「もう、このロードランナー状態から解放されたくないの?」「泥棒に殺されずに金塊拾ってちゃんとしたゴールを目指す」「ああ……そういうのは偉大なる凡人が残した言葉そのまんまだ。凡人の一般論なんてアイロンかけて送り返せよな」「…………」柚木耶は何も言わずいきなり走り出した。「逃げたなぁっ、くっそぅ。走って、転んで、既に満身創痍だよ」本当に転ぶ暁。秋名のハチロクも吃驚なくらい豪快にブレーキングドリフトを決める、更に百八十度ターンをして立ち止まる柚木耶。「精一杯、存在の証明ッ! たあッ」起き上がり柚木耶に追いつく暁。「まま、そんなこと言わずにね、ほらほら。失敗しない後悔しない人生なんてないんだよ」「ああ。もう。眠いからいこうや。阿呆なこと言っとらんと」「もういいよ」「…………何が?」「どっちなんだよ?」「お前がどっちなんや?」「ホムンクルスだよ」「ホムンクルスって結局誰なんや? それがわからん」「知らなくて良いんだよ」「教えな泊まらんよ」「ホムンクルスさんはホムンクルスさんだよ。それ以上でもそれ以下でもない」「おい」「教えただろ? じゃあ行こうか」「ああ、おいおいわかるって流れなんか」「違うよ。そうじゃなくて」「もうええわ。めんどい」「あのさ」「ほな、見えてきたで。早くクーラーでも効かせた部屋に入れてくれ。暑くてかなわん」「結局、好きなの? どうなの」少しの沈黙の後。「嫌いになれそう」
では『飼体と肢体と屍体としたい』の8を読みたい方は
コチラ
屍体としたい?
---Ⅵ---
御苑彩はちかちかする視界ともやもやしている頭と手に残った無数の切り傷と何かいがらっぽい喉への痛みを極力考えないようにして、目を覚ました。
傍らに佐藤時宏に脱がされたものと思われる乱れた服の裾を直しては着て、二階へ上がらず、そのまま校舎を出て、校門へと向かった。校門を抜けて、石段を降りて、百二十坪はある自宅へと堂々と玄関から帰宅した。そして使用人と家族の目を盗んで気づかれないよう自分の部屋まで辿り着き、明かりをつけないままベッドの中に入り、目を閉じた。今まさに、彼女のお話の全てが終わったと言って良い感じだった。
彩は「おやすみなさい」と誰に言っているわけでもないが、一言だけそう告げた。
*
ホムンクルスは、四年前通っていた当時の同じ教室の同じ席に同じような調子で気だるく腰を下ろした。ホムンクルスに続いて、瀬能優希が眠っている庵加奈をつい二時間ほど前に座っていた席に上手く乗せてやると、優希自身もその後ろの席に腰掛けた。次に卓柚木耶が物凄いスピードで教室に飛び込んで来て、倒れている佐藤時宏を背負って、優希と同じように所定の席へと躯を移動させてやる。どうやら意図を汲み取ってくれたようである。その後、のろのろとした調子で沖田暁が、教室を一望してから皆のその意図を察したのか、自分の席へと座る。最後に、はだけた橙色のワンピースを着た六樹館有栖が教卓の男を睨みつけながら、自分の席へと移る。御苑彩は結局、その姿をここに現すことはなかった。十分ほど待って、教卓の男が諦めた様子で「御苑さんは来ない。彼女がこの腐りきった場に相応しくない人間だったからでしょう」独裁者の演説のように、話を始める男。「今から、貴方達にはあるゲームをしてもらいます」
「長ったらしいんじゃ。はよ言えや」柚木耶が語気を荒げて突っ込む。本当に突っ込みそうな勢いだ。暁はどこか茫洋としているばかりである。「こっちゃ、皆がボロボロや。錯乱するどころかほんまに死人が出そうや」
「バトルロワイアル。殺し合い――否、物理的な意味ではありませんよ。貴方達七人――おやおや、皮肉なことに一人が消え一人が増え、また元の七人に戻るとは予言とは皮肉なものですね。いや、失礼しました。繰り返しますが、今から始まるのは物理的な意味ではない。多角的に広い視野で物を考えてみようということです。先だって刺しあい撃ち合いの殺し合いばかりが本当のバトルロワイアルでは、ないと私は認識しております。肝要なのは戦うものの心、つまり心理。それを主に置いた戦いを今から繰り広げようと言うのです。つまりは貴方達七人の精神的な意味でのバトルロワイアル、それも今からフィニッシュを迎えようとしている」
「……終わりが始まる?」暁が言う。「もう、全ては終わったんじゃなかったんか? あれで」
「違います。まだこの狂宴は完全には終わっていません。貴方達はいきなりこんなことを強要させられ、何が何だかわからなくなってしまっているし、はっきりとさせておきたい真意がいくつかあるでしょうけれど……可哀相なことに、まだ、残っているのです。殺し合いがね」
*
卓柚木耶は教卓の男を見据える。男は、能面のような無表情。表情から感情を読み取らせないことを意識しているからなのか、ここから窺える範囲では何を考えているか何を言い出すのかさえさっぱりである。さっき、そこで弁を奮っていたホムンクルスとは対象的に、静かで何一つ動揺が感じられない。男はじっと、そこに立ち尽くしているだけ。
「呼称に悩ませたくないから、一応私の名前だけは教えてあげよう。私はホムンクルスと言う名で呼べば良い」
ホムンクルス? 柚木耶は疑問を浮かべる。じゃあ、今席に座っているホムンクルスはどうなる。
「ちなみにそこに座している彼は、本当のホムンクルスではない。ただ、都合の良い名前がなかったので、一時的に私の名を騙らせてあげただけです」教卓のホムンクルスは、着席しているホムンクルスの方を見ながら言った。「君達のうち、彼の顔を見ている者もいることでしょう。彼は君たちより、年にして四年しか離れていないのです。多分、辻坂で生まれ育った卓柚木耶くんと、この場にいないが御苑彩さんなら、どこかで見た顔ではないかと引っかかったことでしょうね。そして沖田暁くんも辛うじてそれに含まれているかもしれない」
着席しているホムンクルスが苦虫を噛み潰したような表情で、俯いたまま話を聞いている。確かに、教卓のホムンクルスが言うように、柚木耶には最初からどこかで見た顔だ――と感じる節はあった。小学校低学年の時だったか、たまに見たことがあった記憶があったような。
「ほうかい。やっぱり、あんたは辻坂の人間だったんか。」柚木耶は座しているホムンクルスを睨む。「さっきから、何処かで見覚えがある顔やと思っとったんや。それに一回どっかで喋ったこともあったような」
「そうだよ。そいつの知っての通り、僕はこの辻坂林間中学及び辻坂小学校の生徒だったんだからね。小学校の頃であれば、僕だと特定がつくこともあっただろうさ」いきなり着席している方のホムンクルスが、声を荒げて会話に割り込む。「もうここまでばれているのなら、隠しておく必要はない。僕の本名は真野友哉。辻坂在住。暁くん家の近くの一軒屋に両親と一緒に住んでる、ただの大学生だよ」
「そうや、真野や! 真野友哉。確かお前の親は、俺のおかんの知り合いやったはずやて。たまにおかんが、真野の家のこと喋ってくれよったけど、忘れとったわ。そういえば小学校ん時、お前の妹が殺されて騒いでた時期があったな。屍体を見つけたんは俺と暁やった」
今、完全に思い出した。小学校四年くらいの頃だったか、真野の妹で名前は確か、真野桜だったはずである。その真野桜が、辻坂の外れにある誰も近寄らないことで有名な魚人池で屍体となって浮かんでいる姿が発見されたのだ。そして、その水屍体を発見したのが、今目の前に座っている沖田暁と卓柚木耶だったのである。魚人池とは当時、緑色の魚人が出るといういわくつきの池で、丑三つ時に池のほとりに立つと、小さな子供を好物にする魚人が現れて子供を喰ってしまうといういかにもな噂がたっている場所だった。柚木耶と沖田暁は噂の真偽を確かめる為、丑三つ時にほとりに立ってみたが何も起こらなかったと言うのがことの真相でもあった池でもある。その池で、真野桜は屍体となって浮かんでいたのである。
真野桜の死は、当時はマスコミまで来て普段は閑静な辻坂が一時的に騒然となった一大事件でもある。一週間くらいは皆も井戸端会議でそんな事件について熱心に意見を交換し合ったものだが、結局のところ警察には足をすべらせて池に落ちて溺死した、という判断が一時的に下されてしまったのだ。ただ、その後真野桜が書いたものと思われる手紙が、真野の家の天井裏から発見された。手紙というものよりも、単なる書置きみたいにメモされたものであったらしいのだが、その手紙のお陰で事件は一気に自殺という結論を決定せざるを得なくなったのだ。
ごめんなさい。わたしはしにます 真野桜
聞いた限りでは手紙はそんな内容だったと思う。筆跡は鑑定した結果、真野桜のものだったとすぐに判明した。しかも、その真野桜の兄が、今後ろで席に座している真野桜の兄――真野友哉が手紙の筆跡をその目で見て、これは確かに妹のものだと証言したのだ。
「おいおい、妹のことは言うなよな。今でも思い出すと結構辛いんだ。僕の人生のモラトリアム期は、妹の死のせいでぐちゃぐちゃに歪められたわけだしね。トラウマにもなってるよ。妹の変死体見たときなんかは気が狂って、死にそうだった。そうだよ。妹のせいで、母さんや父さんまで一辺におかしくなった。今、真野の家でまともなのは、僕くらいのもんだ。母さんは家から出なくなって、引き篭もって変なオカルトに凝りだすし、父さんはノイローゼなのか平常なのかよくわからないけれどいつも壁に向かって喋っているって感じだよ」
「真野。お前かて全く正気じゃなかったてのは聞いた覚えがあるぞ。妹を殺した犯人を捕まえて殺すっていっつも言ってたらしいやないか」
「そんな時期もあったね。一番酷い時期だったはずだ、それは。一時的なものだった気がする。結局、誰が妹を殺したかなんてわからない。近隣に住んでいる村民の誰かがやったんだろうって思ってたんだけど、そんな素振りを見せる人間も見つからなかった。それに妹を殺しそうな動機を持つ人間もいなかった。妹は僕と違って、比較的まともで友達もいたし、村民からも恨みを買うようなやつじゃなかった。結局、警察頼みだったけど、天下の警察でさえ犯人は見つけられなかったんだ。僕でさえも、結局は自殺したんだと考えるようになって、いつかそんなことすら引きずっている自分が馬鹿らしいと思えてきて、妹のことを忘れるようになっていったんだよ」
「ああ、まさか……じゃあ、君……いや貴方はもしかして、屍体の第一発見者だった沖田くんと卓くんを疑っていたの? それで、何か勘違いして今回のようなことをやろうと、考えた」突如有栖が震えた声で指摘する。「ああ、ああ……じゃあ、私は一体何の為に、ここにいるの? 何故、こんな目に合わなきゃならない? 私は真野の事件とは全く関係ないのに」先程から自分の肩を抱いて震えている様子の有栖。いつもの衒いのある容貌も気品も、今はその影を潜めている。
「もう、様はつけないけれど、有栖ちゃん。君は僕を甘く見すぎてる。そんなこと、中学生だった僕はとっくに推理しまくっていたさ。推理しまくった上で、彼等二人は確かに怪しすぎるくらいだったけど、結局彼らには直接聞いても、妹が死んだ時刻に学校で授業を受けていたっていう完全なアリバイがあった。だから、それ以上は勘ぐれなかったし、追求するようなこともできなかったんだ。彼ら二人は、桜のことを知ってはいたけれど、遊ぶほどの仲じゃないと言ってたんだからね。桜は彼らの一つ年下の学年だったけれど、あまり遊んではない様子だったしね。家にだって連れてきたことはない」
「違います……。貴方の妹さんが自殺だったとしても、彼らにアリバイがあったとしてもです。彼ら二人が何らかの形で、妹を自殺するような原因を作ったんじゃないかと考えたのではないですか? 私にはそのように貴方が考えて、今回のようなことを思いついて、何か狂わせてでもして、情報を得ようとしたのではないかと思います」有栖の推理に、柚木耶は少しだけ感心した。この意味不明なゲームの根源が、真野の妹の死が絡んでいるのではないかと言う指摘に限ってのことだが。
「――ご名答だ。あの頃、僕は二人を疑っていた。確かに一時的なものだったよ、犯人への憎悪はね。でもそこにいる男、ホムンクルスと会ってから、僕の犯人に対する憎悪は復活した。初対面だったその男は、いきなり『妹を殺した犯人を知っている』なんて言い出すんだからね。そりゃあ、それからは、信じられないようなお話を彼から聞かされたんだよ。その話で、僕の発見者二人に対する疑念は深まってきた。まあ僕自身、このゲームを開く要因になったものとして、暁くんと柚木耶くんに色んなあの手この手を尽くして何か吐かせようというものがあったのは間違いない」
「ちょっと待てや。俺はほんまに事件とは全然関係ないんやぞ。ただ真野桜の屍体を発見したんが俺らだっただけや」途中で割り込む柚木耶。しかし有栖が「黙りなさい」と一喝する。さっきよりかは、大分語気が元に戻っているようだった。今自分が、こんなことをでしゃばってもどうにもならないので、大人しく話を最後まで聞くことにした。
「嘘をついたのね、貴方。あの出鱈目の話には、そんな妹の話は含まれていませんでしたわ。それに沖田くんも卓くんのことなんて一切言わなかった」
「だから最初に言っただろう、僕は『大嘘つき』だって」
ああ、殺してぇこいつ。
*
沖田暁は、真野友哉の話を聞きながらも、内心では、自分が何か肝心なことを忘れているような気がしてならなかった。屍体を発見したことすら、柚木耶が言い出すまでは完璧に忘れていたことだし、真野桜が死んだこともすっかり頭にはなかった。屍体――どんな屍体だっただろう。思い出せない。何か自分は忘れている。そうだ、自分はいつも忘れているのだ……何かを。何かとはなんなのだ? 自分は、何か間違っているのだろうか。家族と暮らしていた時のことだって、何か肝心なことを忘れている。わからない。思い出せ。思い出すんだ。何かあるはずだ。自分には何かがあるはずなんだ。さっきいきなり、柚木耶を押し倒して犯したのも何か忘れていたことがあったからかもしれない。いや、本当は自分が思い出したくないから、思い出せないだけなのかもしれない。思い出したくないが故に、自分が思い出さないように防衛機制を働かせる。防衛機制? 自分を守る為? 思い出したくない何かとは、守らなければならないほど危険なものなのだろうか。
ふと、自分の中からくぐもった井戸の中から聞こえてきたような声がする。「忘れろ。忘れてしまえ。思い出すな。思い出せないんだよ。思い出してはいけないんだ」畜生、お前は一体誰だ。「忘れろ。楽しいことを思い出すんだ。さっき柚木耶とあんなに悦しんでいたじゃないか。あの時のことを思い出せ」そして、その声は聞こえなくなった。
――ああ、そう言えば柚木耶は可愛かったなぁ。元々、子供のような顔をした柚木耶は、辻坂でも可愛らしいという定評があった。純粋無垢で小さくて手で包んでやると伝わってきた温もり。この顔はショタっぽいから嫌だと柚木耶はよく言ってていたけれど、暁はそんな柚木耶の顔が可愛くて仕方ないと思う時もあった。わがままを言う柚木耶。自分に甘えてくる柚木耶。そんな顔は自分以外の前では出さない柚木耶。柚木耶のエネルギッシュな面を凄いという羨望の半面、柚木耶のそういった脆そうでいて、美しくて、可愛い一面が暁は大好きだった。少し眉にかかるくらいのその前髪も、口元の形も、背丈も、言葉遣いも全てが好きだった。そんな柚木耶を犯したいと思う瞬間は呆気なく訪れた。先刻、柚木耶が階段を上がる途中で、珍しく躓いたのだ。膝をすった。血が出ている。それを舐めている柚木耶。ああ、舐めたい。そう思った。暁の中で何かが崩れるのがわかった。自分でもその後は何をしているのかよくわからなかったが、とりあえず柚木耶の傷口にむしゃぶりついた。柚木耶はそれには抵抗しなかったが、やがてもう気は済んだかなどと言った。でも自分はまだやめなかった、やめたくなかった。次に柚木耶に覆い被さった。柚木耶は小さい。日本人の平均身長程もある自分に比べれば、二十センチ近く小さい。だから、簡単だった。柚木耶は離せよやめろよだの言いながら始めは暴れて抵抗したけれど、服を脱がしてやれば、その後は順調だった。犯した。舐めてキスして舌を入れて下のものも入れて、段々柚木耶にも抵抗の念が消えてきたのか、柚木耶は従順になった。「痛い」と喘ぐ柚木耶に興奮して、射精して、そのまま何度も色んな体位を試した。柚木耶は可愛い。あの時の柚木耶なら、何をやっても何を言っても興奮できる。自分の屹立している下腹部のものを手で抑えて見せた。確かにそれは、疼いていた。柚木耶。柚木耶。柚木耶。大好きだ。好きだ好きだ好きだ。もっとあんなことがしたい。柚木耶。柚木耶柚木耶柚木耶可愛い柚木耶好きだ柚木耶犯したい柚木耶もっと喘いでくれ柚木耶柚木耶柚木耶。
*
瀬能優希は震えていた。
義兄はじっとこちらを見つめている。見ないで下さい。そんな乾いた目で見ないで下さい。さっき、自分の目の前で六樹館有栖を無理矢理犯して見せたのも、自分を連れ戻してまたあんなことをする、ということの体現なのでしょう。怖い、あの男が怖い。そして憎い。いつになれば、あの男から逃れられるんだろう。もう、目を合わせてはいない優希だったが、明らかにまだ彼の視線はこちらに向けられている。わかる。気配でわかる。殺される。肉体的にも精神的に、犯され陵辱され虐げられる。そんな日々がまざまざと予想できる。あの男は多分、自分を連れ戻すためにここへ来たのだ。もう、こんなゲームなどどうでも良い。彼がいなくなってくれるなら、どうでも良い。
「これで材料は揃った。そろそろこの物語の真意とやらをお話しようかな」有栖と真野友哉が何か口論し合っている会話に割り込むホムンクルス――いや瀬能水人という名を持つ義兄。死神みたいな能面に優希は畏怖する。「庵加奈、佐藤時宏。起きるんだ。君達にもちゃんと参加してもらわないといけない。これはもう決定事項なんだ。すまないが、そこの二人を起こしてやってくれないかな」
優希はとにかく従順でいようと思った。何か言葉を揚げて反抗でもしたら、その後が恐ろしい。何をされるかわからない。加奈だった他の皆だって殺されてしまう可能性もあるのだ。あの男は平気で、平然と、まるで公園の片隅に存在する蟻の巣穴に如雨露で水を注いで壊滅させてしまうくらいいとも簡単にそれをやってのけるだろう。そんな男なのだ。仕方なく優希は加奈の躯を強く揺さぶった。揺さぶって揺さぶって三十回くらい揺さぶって、加奈は目を覚ました。と、同時に時宏も卓柚木耶に起こされ、目を覚ましたようだった。加奈は目をこすりながら、ふわぁと長い欠伸をした。目の前の優希の顔を見て、安心したように微笑んだ。少し優希も安心する。「あんれぇ、どうしたの優希ちん? これ、どうなったんすか? このゲームってぇやつは」加奈は囁いた。優希も囁き返した。「今はそんなこと、もう問題じゃありませんです。今深刻なのは皆の命が危険に晒されているということ。加奈が寝ている間に色々あったんですよ」加奈は眠そうにまた短い欠伸をして。「まあ、なんかどうでもいーいー。どうでもいいっすよ」とのん気に言った。普段の加奈に戻っている、と優希は少しほっとした。加奈はさっきみたいによくおかしくなることがある。何故かまでは断定できないけれど、多分物事を考えすぎてパンクして、ああなるのだろう。さっきの加奈はおかしくなっていたはずだ。スポイル。ブレイク。さっきの彼女は梶井基次郎の『檸檬』なのだ。しかし、眠って大分激昂していた気分は大分和らいでいるようだった。既に、正常な思考が出来る状態にはなっているだろう。
「では、二人も起きたようだし。話そうか。じゃあ、何から喋ろうか。まず、そこにいる真野友哉と私が出会ったところからだ。私はこの街で妹を探していたとき偶然、真野友哉という男に出会ったのだ。人気の無い土手で、空を見てぼうっとしているその男は、見るからに悩める青年の典型的なものだということがが窺えた。そこで私は、彼に声を掛けた。何を悩んでいるんだ? とね。すると、彼は何かスイッチが入ったのか突然自分の身の上話を始めた。私がいきなり話し掛けてきたことに何か運命を感じせざるを得ないとか言ってね。男は真野友哉と名乗り、自分は妹を殺された。妹を殺した犯人は、目星がついているんだ。でも証拠がない。どうしたら良い? と言ってきた。更に詳しく話を聞けば、真野友哉はその犯人を見つけ出して殺したいとまで言い出した。沖田暁と卓柚木耶、君ら二人が彼にしてみれば容疑者らしかった。アリバイがあるから殺したと言う証拠にはならない、どうせ学校側とは口裏を合わせているに違いないと彼は本気で言い出したんだ。狂っている、と最初は正直思いもしたがこれは同時に、使えるか、とも私に思わせた。それで、調子に乗った私は、自分も行方不明になった妹を探しているから、その気持ちがわかるような気がする。と言って、彼が前々から考えていたある計画の実行の手伝いをしてやることにしたのだ。『情報屋ホムンクルス』と名乗ってね。彼の計画を最初に聞いたときは、リスクが高すぎると思ったよ。そんなことまでしなくても、とね。だが彼は念を押してこう言った。怯えさせる狂わせる極限状況において、そいつらに罪を償ってもらわなければならないんだと。そういうことらしかったから、私も本気でその計画に乗った。その計画が『バトルロワイアル』という小説を擬似的に扱ったものであることはわかっていた。条件は揃っている、と彼は狂人じみた笑いを浮かべながらこう言った。沖田暁、卓柚木耶。この二人は現在中学三年生だ。騙しおおせることも可能かもしれない。武器も僕が用意する。首輪もだ。拉致方法も任せろ。プログラムの運営に関する全てを僕に任せて欲しい。君はクラス、いや三年の生徒全員のことを緻密に調べて欲しい。調べるところは調べ尽くすんだ。君は情報屋なんだろう? 何だって良いから調べるんだ。そして行動は開始された。真野は、プログラムの運営に時間を費やし始めたようだった。私はその時、どうもこんなに軽く引き受けるのはまずいかと感じたのも束の間、ある生徒のことを調べ始めた時にその気持ちは吹っ飛んだのだ。妹がいたのだ、そのクラスに! 更に調べ上げれば、妹は庵加奈と老婆と三人暮らしをしていることもわかった。しかも六樹館から禁忌を犯して逃げ出した娘までもがいる。なんてことだ、と思ったよ私は。そのまま妹を連れて帰ることも出来ただろうがね、どうしてもこういった状況で彼等彼女らの動向を心から見たいと望む私がいた。観客願望ってやつだよ。見たかったんだ。こんな世界をね。だが、私はその世界を、その結末をより残酷なものに仕上げようと考えたのだよ。真野には黙って、ちょっとした細工をしただけだけれどね。まずは、ペットボトルの中にこっそりと睡眠成分のある薬剤を混ぜたのだ。そして、恐ろしいものを私は持ち出した。催淫剤だよ、それもじわじわと効いてくるものをね。それを君達が眠っている間に嗅がせたんだ。ホムンクルスという名を騙らせた私は、こっそりとその効果があるのかどうかを物陰から覗いていた。最初のルール説明やら何やらの時はまだ効いていなかったね。効果は人それぞれ早い遅いに格差があったが、やはり時間が経てば中には淫靡になっていく者もいたようだ。そして私自身も、それを嗅いだのだ。そして私はさっきの通りになった。ねえ優希? 見ていただろう、私のあの痴態を? 優希もあんな風に、なるんだ。もう、そろそろ薬が効いてくるはずだよ。おかしくなるはずさ。気持ちよくなるんだ。さあ、最後の狂宴の始まりさ。そう、これが真意だったんだよ。私は、こんな世界が見てみたかった。そしてそんな世界は今、成立している。素晴らしいじゃないか。皆は、全てを忘れて淫靡な気持ちに浸れる。それで良いじゃないか。さあ、今私の右手に握られているのは遅効性のものではなく即効性の催淫剤だ。これを今、巻き散らせば、どんな世界が待ち受けているだろうか。見てみたいとは思わないか?」
教室に響き渡る怒声と悲鳴。優希は知らず知らずのうちに、立ち上がっていた。そして、教卓にいる水人の方へ突進した。何故そんな行動に出たのか。防衛本能だろう。死にたくない。
だが、間に合わなかった。スプレィと思われるそれからは既にかなりの量の液体粉末が発射されていた。
ぶしゅうっとど派手に大きな快音が教室中に響き渡る。後悔先に立たず。優希はそこでぺたんと尻餅をついた。おしまいだ。もう、おしまいだ。外へ出たい。でも、その即効性のクスリのせいで、すぐに思考は破綻し破壊される。もう、自分が自分じゃなくなる。これが最後の思考だ。自分の腕が何が起こったのかまだ理解できていない様子の加奈に絡み付いている。加奈を座していた椅子から引きずり倒して、そのまま服を剥ごうとしている。もう、駄目だ。もう、考えられない。もう、駄目だ。もう、考えられない。もうもうもうもう駄目だ駄目だ駄目駄目。
では『飼体と肢体と屍体としたい』の7を読みたい方は
コチラ
肢体としたい?
---Ⅴ---
庵加奈は、吸い込んだ煙を一気に吐き出した。
短くなりつつあったメンソールの火を、理科室に備え付けられた水道の流しで揉み消す。瀬能優希が読みかけていた文庫本から視線を離し、その様子を茫洋と眺めている。まだ、夜の帳は下りていない。多分、一時半か、二時。時間は教室を出発してから、それほど進んではいないはずである。加奈はパーカーのポケットに両手を突っ込んで、机に腰を下ろしている優希の隣に寄り添うように腰掛けた。深夜の理科室。一切の音は遮断されていて、この世界だけが独立して成立しているような感じさえする。優希は行為を終えた後から、閉口したまま。いや、本来無口というよりかは本当に口がないと思えるくらい言葉を発さない優希には、とりとめて話したくなるような話題が無い場合、何も口にしない。
加奈はよく考える。優希といると、本来、人は喋りすぎているような、そんな自分を自覚できてしまう。無駄な言葉を発さない。誰かと一緒に居る時、何も喋らないから気まずいと感じるのは錯覚なのかもしれない。ただ、自分の持ち寄った情報を他人に伝えるとき、言葉は有効なのは間違いない。言葉は、簡易なコミュニケーションのツールとして用いられているだけで、それ以上でもそれ以下でもない、と加奈は思う。自分の感情を自分以外の何かに対し、訴えるためだけに用いられている。言葉とは、そういうものである。しかし、口から発せられる言葉というのは実際簡易なだけであって、非常に曖昧な性質を有している。それは、他人に伝わる過程で、いくらかの演出や嘘が含有されるからであり、何より他人が理解できるように話さなければならない状況が、存在している為でもある。言葉を発すると、相手が聞き手、自分が話し手という立場が当然のように成立する。そうなると、話し手は聞き手を意識して話さなければならず、言いたいことが完全な形で伝わらないのだ。そうした障害が、自分の持ち得る情報が完全な形で伝達できなくする。
人は、最初に自分を理解しようとする。理解できるものはこの世に自分しかない。世に出回っている色んな作品を見たとしても、作者の真意や感情までは読み取れない。解釈はできる。良い批評者にはなれるかもしれない。でも、完全には理解できず、曖昧に抽象的に時に論理的な解釈を試みる地点までであり、そこからの一寸先は闇。何もわからない。無限、行き着く場所は存在しない。故に、限りなく完全に理解できるもので、一番手近なものは、自分。自分が一番身近に存在する情報だからである。だからこそ、人は自分を理解し、分析する。
優希は文庫本を読んでいる。加奈は何を読んでいるのかと訊いてみた。梶井基次郎の『檸檬』だった。文学を書く作者だった気がする。確か加奈は、この作者の本を読んだ覚えがある。舞台というほどの壮大な話でもないのだが、京都の西京極辺りが出てくる。果物屋で檸檬を買った主人公が、普段は避けている書店に檸檬を残して立ち去るといったそんな短い話。檸檬を書いた梶井基次郎は肺を患って短い生涯を終えた。昔は、今と違い、短命で命を散らせた文豪も少なくは無い時代だった。
優希はじっと頁に目線を落としている。そんな優希をじっと見ている。じっと見ている。優希がやがてそれに気づく。優希は文庫本を閉じてまた唇に噛み付こうとする。それを手で制止する加奈。制止しても、何度も何度もそれを試みようとする優希。寄り添えばそんな動作の繰り返し。エンドレス……。何故、今こんなことをしているのか? と思索する自分。やがてそれを許容してしまう自分。自分、自分、自分、そんな自分自体がよくわからない。瀬能優希もわからない。わからない。わからないことだらけ。嫌になる。わかったようでいて、何もわかっていない自分。今、わかった。世界をわかった風に解釈していい気になっていた。こうして今まで何でもわかったフリをしていた自分を必死で隠そうとしていたことに気づいた。錯覚。何も見えていない。嫌な部分を隠して生きていたから、いつも安定していられた。でも、今この状況、この思考、何かががらがらどしゃっと崩壊していく。非日常。取り乱す加奈。迫る優希。何かが、何かが、自分が今まで気づかなかった何か。そもそも、その何かとは何なのだ? 考えること自体、いや、森羅万象自身……。人間、人間、人間、何なのか? 人とは一体何の為にこうして生きている? 無意味? 有意味? そんな解釈はいくらでもできる。でも存在の根本、それは一体、何なのだろう? 少し飛躍し過ぎている。何かが狂っている。自分だ。自分が狂っている。やめよう、やめよう、こんなこと。やめてしまえば良い。地球の最果てまで逃げてしまおう。心を落ち着けられる本でも持って。本、本、本。本が救ってくれる。本が何か支えてくれるはず。そう思うしかない。思い込めば、一時的に安心は得られる。その思い込みという錯覚が解けない限りは。ああ、優希がまたパーカーを捲り上げて、一方的にブラジャーを捲り上げる。強い衝動、訊きたい衝動。何故、何故あなたはこんなことをこんな行為を繰り返すの? 教えてよ。いつだって答えはそこにあるものでしょう。人を安心させ、満足させ、錯覚させる為の解答が。
答えなんて、何も無い。私には必要ありません。
何なの? じゃあなんであんたは今こうして私を押し倒すわけ? 性欲や快楽の為でしょう! 何らかの原因があるはずですよ。何か意味がなければ、こんなことはしない。ただ、やりたかったなんて答えじゃない。答えを探求しなさい導き出しなさいよ。ああまたそうして秘部を指で責める。何なの、じゃあ何なの。最初にこうやりたかった動機を言いなさい。
したかったから。してやりたかった。それではいけませんか?
ああわからない。わからないわからないわからない。わからないわからないわからない。わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない。何もかもだよ!
もういい! 今までのはなしにしよう。少し安定しよう。何か飛躍し過ぎている。完全に思考回路はショートしてる。もうやめよう。もうやめたい。もうしたくない。これが答。
「やめなさいよ」加奈は優希を突き飛ばした。「もうこりごりよ、あんたに付き合うのは。もう、絶対に嫌。こんなこと言ってる自分も嫌だけど……あんたのせいでめちゃくちゃよ、私」優希は囁く。「そうですか」そうですかって何。今までこんなことしておいて、そうですか? もっと言いたいことがあるはずでしょ。もっと言葉に出して言ってみなよ。「加奈。そんなこと言いながらも笑ってるよ、加奈って笑えるんだね」加奈? 今まで敬称で読んでたくせにいきなり馴れ馴れしいわね。加奈は自分でも笑っていることに気が付く。そう、今、加奈は生まれて初めて笑っている。「笑った、やっと笑った。本当に笑った。笑わない人だと思ってた」ええ、確かに笑ってるよ。自分でも心から笑ってる。笑いの神様が降りてきた、ってやつよ。何も包み隠さず笑ってるよ。今までの笑いは全て嘘。あんなのは自分じゃない。他人が笑っていたようなものだったのよ。何がどうしたらいいのかもわからない。もう笑うしかないじゃない。よく人は死にそうになると突然笑い出すけれど、今自分も死にそうなくらいなの。本当に死ぬ間際かってくらい。「そうです。加奈は今まで笑えなかった。でも笑えた。いいですよ、そういうの」何が良いのよ。何が良くて、こんな死にそうになってるのよ。ああ、もう良い。やめよう。投げ出そう。逃げ出そう。加奈はメンソールを取り出した。二本取り出す。そして優希に一本差し出す。優希は微笑んでそれを受け取る。人差し指と中指に挟む。百円ライタに火を点けて優希の咥えた煙草に命を与える。そして自分も煙草を加える。火を点ける。一気に煙を吸う。一気に煙を吐く。リセット。全てリセット。煙草の用途はこのようなものだ。忘れる。忘却する。そんなものであるのだ。
「ああ!」加奈は派手に舌打ちを打つ。「美味しい。この為に生きていると言った感じ」自分でももの凄く馬鹿らしい言動をしていることは自覚している。今はとことんハイ。そんなことは気にしてもちっとも気にならなくなるくらい。大きさが違う。矛盾しているけど気にしない。けほっけほっと咳き込む優希。肺に煙が入って咽いでいる。ああ、ようやく安定してきた……。ああ、水でも飲みたい。そう言えば、水が鞄の中に入っていたはずだ。それを飲もう。飲んで吸い込んだ煙に爽快感をプラスさせる。傍らに放り出された鞄から水を取り出す。ペットボトルの蓋を開ける。一気にがぶ飲みする。そして水を飲んで、交互に煙草を吸う。美味しい。美味しすぎる。優希はまだ咽いでいる。何か囁いた。「これは、駄目です。ちっとも吸えませんし、美味しくありません。何か、頭をもやもやとさせる作用があるようです」そうだよ! と突っ込んでやる加奈。吸い込んだ煙が器官を通り細胞を通じて脳に浸透する。そして頭はもやもやと薄霧が張ったみたいに嫌なことを忘れさせてくれる。それが煙草なんだと思う。もう良い。説明も疲れてきた。ちょうど、今は夜。こういう時は眠ろう。五大欲を制御することに関して、人は非常に後ろ向きだ。根源となる本能だからだ。食べたいときに食べ、交わりたいときに交わり、知りたいときに知り、起きたいときに起き、寝たいときは寝る。これが人間の基礎。もう抵抗しない。全てを受容する。故に、自分は寝る。寝たいから寝る。眼を瞑る。少しずつ、頭が重くなる。もう動きたくない。休む。優希……優希はどうだろう。優希は自分じゃない。どうしたいかもわからない。どうするだろう。わからない。わからない。とにかく寝よう……。
*
瀬能優希は、突然眠りこけてしまった庵加奈の頬にそっとキスをした。
眠っている加奈は、まるで泣きじゃくった挙句疲れ果てて眠ってしまった子供みたいな顔をしている。それを見て優希は、軽く微笑む。生まれてこの方、多種多様な人間を見てきたが、加奈のような内的世界を持つ人格は、極めて例外であり稀な方でもあった。突き詰めていけば、何もないことに辿り着く。そんな状況に困惑し、激昂し、悲観している人間。優希自身は、そうした思考に興味が皆無であった為か、あまり共有できる思考ではない。共有できないのだ。何も共有できない。優希は、初めて加奈と顔を合わせた時から、そう見抜いていた。一目見て、この子は悲しい、と思った。だからこそ自分は、加奈に構ってやりたかった。前向きな思考を巡らせることもできず、ひたすら見えない虚像とワルツを踊っている、加奈に。優希は、加奈が飲みさしたペットボトルに睡眠薬が含まれていることを既に知っている。そしてまた、加奈に目をやる。寝息を立てている加奈。加奈は、兄に似ているのだ。救い甲斐のない、悲惨な兄の末路に。予想以上に早い成果が得られたことは、優希としても意外だった。まさか、このような状況に陥るだけで、加奈が破綻するとは。加奈は弱かった。知っていたことだけれど、加奈は弱かった。その本質的な弱さこそが、加奈をここまで強大に膨らませたのだ。世で成功する人間の大半は弱い人間。弱いことを何かで補おうとする力、弱い者にはその素質を育てる能力が普通の人間よりも多量に備えられている。普通の人間という定義が曖昧だけれど。まあ良い。今、いったことも無意味なのだから。自分にはない。なくてもいいもの。しかししかし果たして、加奈はこれで解放されたのだろうか? 解放。優希は、馬鹿らしい。ここまで自分が考えていることに終止符を打つことにした。無意味だからだ、こんな思考、いや妄想。
「加奈。あなたはいよいよこの世界の腐った林檎に成り果てました」そこで頁が開かれたまま置かれていた梶井基次郎の『檸檬』がふと視界に入る。「檸檬かもしれません。いずれ腐ってしまう檸檬。今の加奈はそんな檸檬ですよ」そう呟いた後、眠る加奈の唇に再度噛み付いた。
*
御苑彩は、震えた指先にそっと刃先を当てた。微かな痛み。血が、じゅわっと滲み出る。そして、その刃先を離す。「痛くない、こんなの痛くない。何も痛くない。大丈夫」さきほどから、こうしていつも携帯していたカッターナイフで、指先を部位にして二十六箇所は傷つけている彩。彩は一階の女子トイレの一室にずっとこもりっきりだった。誰も来ないから、頭がおかしくなりそうではある。恐怖などとうに通り越して、次に来るのは思考の波。何かしていないと落ち着かないのだ。段々と血を失いつつある彩は、便座から立ち上がり、とうとう色々な意味で堅固だった扉を開く。痛みでどうにかなりそう自分と、何か動いていなければと思う気持ちが相反し合って、足元も定まらず、瞳孔さえ揺らいでいる。加奈が女子トイレから出ると、そこには佐藤時宏がいた。佐藤時宏はいつものとりすました顔で、彩の傷つけたそれをじっと見つめている。そして、時宏は笑った。何がおかしいのだろう。加奈は時宏に接近する。時宏は不信に思ったのか、少したじろぐ。後退する時宏。前進する彩。やがて壁に押し当たって時宏が、ふっと息をつく。彩も右手に握られたカッターナイフに力を込めつつも、ふうっと溜息をつく。時宏が何か言っている。ねえ、御苑さん。これは嘘だったんだよ。みんなホムンクルスの計画した出鱈目だったんだ。二階に行こう。二階に行けば真相がわかる。そんなことを言っている時宏。計画。そんなものは鼻から予測していたことだ。でも、今はそんなものどうでも良い。このカッターナイフで時宏を傷つけてやりたい、そんな気持ちしかない。指を切ってやりたい。痛みに歪んだ時宏の顔を覗き見たいのだ。時宏はまた語気を強くして何か言った。もう、やめようよ、こんなのつまらないよ。みんな狂ってるんだ。さっき、暁君と柚木耶君が階段の踊り場で何をしてたと思う? 柚木耶君と暁君が二人して裸になって、躯を交えあっていた。後ろからこう、何度も何度も突きあっているんだよ。お互い、オルガズムに感じて、達しているんだよ。柚木耶君は恍惚とした表情で、暁君の後ろからの衝撃に対しリズムを合わせて腰を振っているんだ。もう、そんなの見せ付けられた時にはゲロでも吐くしかなかったよ。何なんだろうね。あれは。それにもう一つ、凄いものを見た。瀬能さんと庵さんも同じようなことをそこの理科室でしていたんだ。庵さんはされるがままって感じで、瀬能さんが一方的に躯を舐め回している。そんなことしてたんだ。もうみんな狂ってる。御苑さん、君はどうなんだよ。君も僕と交わりたい? あんなことしたいのかな? 僕はもう狂いそうだ。今にも何かが破綻しそうなんだ。今も、カッターナイフを握って眼をぎらつかせてる君を押し倒して、むちゃくちゃにしてやりたい気分なんだよ。どうしよう。どうすればいい? どうすれば――彩は咄嗟にカッターナイフの切っ先を時宏の腹部に向かって突き出した。時宏はその手を掴み上げて、脇に挟んで圧力を込める。彩の手に力が入らなくなる。カッターナイフが床に落ちる。そして時宏は、自分を思い切り大外狩りの応用で転ばせる。体重をかけて、そのまま時宏と床が彩を挟みあう状況になる。彩は抵抗する。やめろ! 何をする! 叫ぶ彩。明らかに人間の表情をしていない時宏。そのまま、身に付けていた、スカートとTシャツを一気に剥ぎ取られてしまう。ブラジャーを破かれてしまう。下着は破かずそのままで、時宏はいきなり彩の口内に舌を入れてくる。声を揚げられない。手を出そうにも両手ともがっちりと時宏に押さえ込まれていて、動かない。足も内腿の辺りに時宏の両足があって、動かせそうも無い。ああ、どうしようもないな。やめようか、もう。瞬時に切り替えた。彩は抵抗しなかった。時宏は乳房に貪りついた。関係のない手の痛みが何故か今になって痛く感じられるように思った。時宏の行為には何も感じない。やがて時宏は、彩の緋色の秘部に、何かを出し入れし始めた。下腹部が苦しい。時宏は泣きながら、一生懸命自分に覆い被さってはその躯を前後に揺さぶり続ける。彩は、自分の下腹部を見た。ああ、あ、あ、何か何か自分に突き刺さっている。肉が、硬いものが自分の中に入っている。時宏と自分は結合している。処女ではなかったから知っている。動揺もしない。最初は、誰だったかなあ。最初もこんな感じだった。わけがわからないまま、ことは終わる。あの時もそう――こうして不思議と冷静に想いを巡らせる余裕があったのである。暁と柚木耶に、代わる代わる犯された中一の夏の一日。多分あの時も自分は、同じようなことを考えていたはず。こうして何もかもがどうでもよくなる。ああ気持ち良いとかお互い喘ぎながら、放課後誰もいない教室で机に寝転んでみんな狂ったように笑いながらやりまくったあの日の記憶。暁が最初にやろうと言い出して、柚木耶が反対した。自分も反対していたような気がする。そしたら暁が、いきなり彩を、自分を机の上に押し倒した。ずっとやりたかったんだからいいだろう。なんて言う暁は、いつもの優しい目じゃなかった。されるがままに、暁に突かれた。中にも出された。安全日だから大丈夫。それがそんな状態の暁の口癖だった。柚木耶は黙って見ているだけだった。そして夜までぶっ通しでそれは行われて、自分が泣きながら放心してた時、柚木耶が突然私に同じことをし始めた。しゃぶり尽くし、突き尽くし、出し尽くし。柚木耶は泣いていた。笑いながら。暁はにやにやしながら、それを見ていた。自分も笑っていた。でも、その日以来、そんな狂った三人の面影はまるで昼夜が逆転したかのように消失して、原型を消した。暁も柚木耶も次の日には、普通に戻っていた。勿論、自分も。何も無かったかのように、テレビ番組の話題、つまらない猥談、先生をからかったり、三人でモノポリーをして遊んだりした。いつも勝つのは柚木耶だったけれど、あのモノポリー。時宏の熱いものが、中に蔓延する。びゅつびゅっびゅっ。まだ出ている。時宏がああああああと声を揚げる。出された。びゅっびゅっびゅっ。また時宏のああああああは続く。まるで自分に溜め込まれていたフラストレーションを一気に発散するかのように、雄叫びを上げる時宏。そろそろラスト。びゅぅっ、そして時宏がふあああああああっと叫んで、全身の体重を預けてくる。ふと顔の角度を変えて秘部を覗くと、純白の濃厚な液体がたらりと床にたれている。息を切らしている時宏の鼓動が直に伝わってくる。あああ、何ていいんだろう。ずっとこうしたかった。こんな風な妄想でマスターベーションしてたのが現実になった。などとぶつくさ途切れ途切れの声で呟く時宏。そんな時宏と自分はまだ結合したままの状態だった。自分も暑くなっていた。そして眠くなっていた。眠い。こうしてあの日も三人で朝の四時までまっ裸で眠りこけていたのだった、今思い出したことがある。自分は、柚木耶か暁の子供を孕んでしまったのだ、あの日の出来事で。そして一人の命を奪った。自分の子供を降ろしてしまった。人工中絶といった形で。あの日笑い話で孕んだなら、と名前は三人で決めてまでいたのだ、確か……林太郎という名前である。森鴎外にちなんでつけようと言ったのは、確か柚木耶だった。
*
佐藤時宏は仰向けに横たわったまま、傍らに転がっていた女を一瞥する。どういったわけか、あんなことをされても眠っているようだ。不思議な女だ。さきほどから、寝言で「やめてよ暁ちゃん。そんなの、そんなの」等と呟く彩は、全身が剥き出しになった状態で廊下に転がっている。そして御苑彩を犯し尽くした自分は、何故か気持ちの悪い後感を味わっている。時宏は、自分の鞄から水を取り出して、水を二リットルの水の半分くらい、一気に飲み干した。時宏は、傍らで眠る彩を眺めながら、ふと独り言を漏らした。
「こんなの、気持ち悪いだけじゃないか……」
*
六樹館有栖は二階の教室の床で眠っていた。広がるのは、夢の中だと認識できる世界。永遠の愛を交し合った兄と、何処か見知らぬロココ調のベッドの上で一緒に躯を交えている姿。恍惚、快楽、全てがそこに凝縮されたと言っても過言ではない有栖の表情。そんな夢の中の有栖をどこか映画の観客のような目線から観察している有栖自身。いつもの表情が快感の色へと歪んでいるのが見える。はあはあと腰を動かす自分。後ろから突く兄の表情。兄は笑っていた。笑いながら、有栖を犯していた。
*
卓柚木耶と沖田暁は眠っていた。暁は水を口にした後、すぐに気を失った。柚木耶はその十分後に暁に寄り添うようにして、自ら瞼を閉じた。裸の少年二人が、階段の踊り場で仰向けに眠り果てていた。窓からの月光が二人の姿をくっきりと映し出している。
*
瀬能優希は、庵加奈をおぶって二階の教室まで運んでやった。ホムンクルスと名乗る男と、もう一人見知った顔の男がそこにいた。自分の義兄だった男だった。ホムンクルスは教室に入ってきた優希に少し視線を寄せたが、すぐに目線を逸らした。何か言いたいことがあって仕方ないような目つきだった。黙っていたもう一人の義兄だった男は六樹館有栖の躯を弄っていた。胸を揉みしだいており、それをやめて嫌らしい目つきでこちらを見た。自分が意図的に目線を逸らしたのが知覚できた。おぶっていた加奈をできるだけその男から遠い場所に衝撃を極力かけないよう置いた。その男は無視している優希に興味をなくしたのか、有栖を弄るのを再開した。
*
ホムンクルスは、有栖を弄る男の頭をかち割ってやりたい気持ちでいっぱいだった。しかしそれは最初だけで、自分もああいったことをやりたいという気持ちが強くなってくる。あの男が羨ましかった。何故、あんなことができるのだろうか、と思った。やがて、自分の目の前で眠っている有栖のワンピースを乱暴に取り除くと、してはいけない超えてはならない一線を、いともたやすく、自分と少女が見ている前で超えた。そして開始した。ホムンクルスは、その場から一歩も動けなかった。ただ、その行為を見ていた。観察していた。有栖が眼を覚ましたら、何て言うのだろう。そんなことを考えつつ、覆い被さっている男の前後運動を後ろから茫洋と眺めていた。こんなことを呟く自分がいた。
「有栖ちゃん。ごめん。僕は今、この展開に期待してるかもしれない。いや、してるんだろうね……」
*
佐藤時宏は、彩が握っていたカッターナイフを拾って、二階へと行くことにした。彩は放っておいた。どうせ、眠っているほうが良い。眠って忘れてしまえば良いんだ。途中、階段の踊り場で裸で仰向けに寝そべっていた二人は無視して、自分達の教室に向かう。自然と駆け足になっていく。カッターナイフの柄に篭る力が増している。教室の明かりが見えてきた。誰かの喚き声が聞こえてくる。そんなことはどうでも良い。全て止めてやる、停止させてやる、こんなもの俺が全て止めて潰して壊して投げて切り刻んで殺してやる。
*
六樹館有栖は目を覚ました。瞬時に状況は把握できた。自分は何者かに陵辱されているのだと。咄嗟に全身の力を見知らぬ男から逃れようと力をコントロールするのだが、一向に効果は無い。むしろ逆に男の方は、自分が抵抗している状況に歓喜しているようであり、押さえつける力も一層強いものになる。やめて、と言おうとした時、口を抑えられた。その拍子に男の手の束縛が離れたので、開いた手で拳を握り、拳骨を顔面に叩き込んでやる。それでも効いていないといった感じ。自分がいま、どんなことをされているか、表現もできない。一言で言うなら、自分は犯されている。これだけだ。男が「いい、いいよ。その怒り」と言った後、何か一瞬だけ怯んだ。その時、有栖の膣内に何か熱いものがどくどくと注入されていく感覚が広がっていく。やあああああああああああああああああああああああ! やめて! やめてよ! やめてよ、ねぇ!そんなのいやぁ! 出さないでよっ! うそ。うそ。やめて! 汚れる! 気持ち悪い! やめてよ! ここは兄さんのものなの! やめてよ! や、やっ、やめっ、ふあっっ! 自分でもあまり何を叫んだかわからない。呪いの言葉をいくつか吐いて、とにかく男との結合を妨げた。男がひとしきりその熱い物を出し終えた後、すっと身を引いたので有栖はどうにか離れることができた。気が付くと自分は服も何も着ておらず、靴下にローファーというだけの尋常ではない格好をしている。そして下腹部――膣からはどろりとした練乳のようなものが、まさか、ああ、これは、精液だ。兄とは違う精液だ。どうしよう。中に出されてしまった。どうしよう。兄の子供以外を孕むなんてことになれば、自分はどうしたらいいんだ。あああああ、膣からの仄かな痛みに耐えながらも自分は、その男が満足そうにズボンのチャックを上げる場面を見た。自分は近くに脱ぎ捨てられていた服を見つけてはすぐに着ようとする。瀬能優希が、ホムンクルスがじっとこちらを見つめていたからである。がちがちと歯を鳴らしながらも、有栖は服を着た。破れた部分が見当たるものの、まだ着られる。ホムンクルスは茫洋と自分を眺めている。瀬能優希は、何か諦観したような表情で。スーツを身に纏ったさっきの男は肩を竦めて笑っている。そして、教室の扉の陰から佐藤時宏がじっとこちらを凝視している。カッターナイフの柄をしっかりと握り締めながら。
*
卓柚木耶は二階から聞こえた悲鳴で目を覚ました。急いで服を着ると、隣で仰向けになって寝ている沖田暁を蹴飛ばして起こしてやった。暁も察したのか、服を着る。「いこうや。もう、なんかようわからんけど、お前のしたかったことは終わったんやろ? すべてのタネあかしといこうやないか」柚木耶はそう言ってやった。「俺に任しとけ。この世界を元に戻すんや」暁はこくこくと頷いた。
二人は、急いで教室へと向かった。
*
佐藤時宏は、突如猛烈な眠気に襲われた。躯に力が入らない。時宏は、自分の左手の甲にカッターナイフの切っ先で突いた。強烈な痛みが、多少眠気を妨害してくれるものの、足がもう機能していないことに気がついた。自分は気がつくと、床にうつ伏せになっていた。目を閉じれば楽になれる、でも、目の前に、殺したいやつがいるんだ。どうして、どうしてだ、こんな時に。まさか、薬でも盛られたのか。じゃあ可能性として考えるなら、あの水が原因であることは十中八九間違いはない。時宏は最後の力を振り絞って顔を上げ、その男の顔を目に焼き付ける。黒いスーツを身に纏った男。そこで時宏は力尽きてしまい、そのまま夢の世界に突入した。
*
男は悠悠自適にこう言った。
「何も終わらないから始まらない。始まらないから終わりがない。始まりも、終わりも存在しないから、美しい」
では『飼体と肢体と屍体としたい』の6を読みたい方は
コチラ
飼体としたい?
---Ⅳ---
沖田暁は額から流れ出した汗が頬を伝ってきたので、それを手で拭う。
卓柚木耶は、一階の左端にある技術室からしっけいしたドライバを、首輪の内側の金具に押し当てた。今、柚木耶は、校門を入ってすぐの所、学校の誰かの手によって一足一挙動で作られたものと思われる小さな花壇に腰掛けていた。本当にみすぼらしい、逆に取れば自然に出来たチックな花壇。
少し離れた場所で、沖田暁が見るに耐えないといった表情で、その様子を伺っている。
「よっしゃ。ちょう待っとけ。こんな首輪、ざっと三秒で外せる」柚木耶は得意そうにそう言いながら、首輪の内側に当てたドライバをくるくる回したり、時々力を入れたりしている。
「もう五分前から、同じこと言ってるぞ」暁は言う。「お前のそういう危ないこと進んでやりたがる癖って、いつからのもんなのやらね」
「おもろいやないか。こういうの。暁やて、おもんないこと嫌いやろ? 勉強とか、学校とか。おもろいことのが大好きやろ? おもろいことってのは、自分からせな、おもろないし、自分から突っ込んでいってやらな何も起こらん」柚木耶は、作業に疲れたのか、一度ドライバを持った手を休めて、そう言った。「人生、一度っきりや。もっと、おもろいことをしていかな。時間はどんどん過ぎてくよ。今しかできんかもしれん。こういう馬鹿は。年取ったら、今みたいに馬鹿できんようになる可能性大やからな」
確かに、柚木耶はおもろいことをするのが大好きだ。そして、そんなおもろいことが好きな柚木耶を見ていて楽しかった。悪戯に限らず、自分が面白いと思ったことをやる。そして満足し心からの快楽を得る。それは、自己満足ではないだろうか。自分さえ面白ければ、良いという子供の様な童心は柚木耶ならではのもので、最近の暁には何となくそういったことには興味が無くなってきているのかもしれない。何となくそう思う暁だった。若いから、そういったことができる。なるへそ。だが大人になれば、できなくなる。確かによくやる万引きや作物の泥棒なんかも若いからできる。大人になれば、それは立派な、いや今も犯罪なのだけれど、色んな意味で痛いだろう。大人になってそんなことをして捕まって、「大人になってまでそんなことをしてるのか」と言われる自分を想像すると、物凄くカッコ悪いことの様に思えてきた。
「柚木耶は、大人になったらそういう馬鹿なことせんようになるんか?」暁は訊いてみた。
「俺らがしてきた馬鹿って、大人になったら何てレベルの低いことしとったんやろって思う馬鹿や。今やから、こういうことしてもお互いアハハで済むんや。低レベルな馬鹿は多分、やめる筈や。大人になって、そんなんしとったら、ただの犯罪者のキチガイになるだけや」柚木耶はにやけながら言った。
「ふーん。大人になったら、何になりたい? やや、じゃあな、ここから出たら何になりたいん、柚木耶ってば」
そう言うと柚木耶は、少し俯いて考えている様子だった。そして、突然空を仰いだ。
「俺は、わからん。今はなりたいもんがないからなぁ。この社会に。なりたい職業もないし、やってみたい仕事もない。お金も別に欲しくない。地位も名誉もいらん。今そういうこと考えても、結局社会に出た時に、自分の夢や理想と何かしら違った職業についてるはずやし、考える時間が無駄やな」
「ふーん。俺は、お前が大怪盗ルパンになりたい、とか言うと思てたわ。そんなら俺は次元になろって言おうとしてたんやけど」
「俺はルパンみたいに女たらしやないから無理な相談やな。それに人とか殺りまくるし。銭型なんか生かしてないやろな。仲間なんていらん。全部、一人でやるわ。ああ、でも必要になったら手伝ってもらうとかはアリやね」
「ふーん。殺し屋とか探偵とかは?」更に尋ねてみる。かつて柚木耶にこんな質問をしたことが暁にはなかったからだ。興味本位だった。
「それ、前者と後者で格差ありすぎやろ。うーん、そんな陰で何かする系みたいな職業じゃなくて……しいていうなら、何やろ、もっと……世界をどーんと動かすようなでっかい仕事をする人とかには憧れるな」
「政治家とか?」
「政治家なんかじゃなくて。あんなん、あかん。あくまで俺一人でどうにかできるもんでもない。国を動かすのには、仲間作ったり、接待したり、すげえ時間がかかるし。ま、あんなん結局は、自分の安定したポストが大事なんや。真面目なフリしとるだけや。それに、真面目なフリしとかな選挙には勝たれんやないか。『清き一票をよろしくお願いします!』『世間の皆様の期待に答えられるよう、一所懸命の思いを政治にぶつけるつもりです』なんて頭ぺこぺこ下げてな。あんなんは、結局金絡みでどうにかなるし、某党は組織票絡み。そんなん実力で勝負してないやろ? そんな奴にまともに国を変えたり、世界を動かす人間にはなれんで。なれたとしてもちっぽけなもんや。この国でさえも何も変わらん。例えば、一人の政治家が、俺がなったとしての話で……議会でな、消費税なしにしようや! 義務教育なくそうや! 公務員もリストラしようぜ! なんて言っても、他の人間が、みんな揃って首を縦に振るか? そうはならん。ついでに話に時間もかかる、消費税をなくすにはこの国の景気をめちゃくちゃ良くしたりとかせなあかんし。まあ、良くしたら良くしたぶんだけ、消費税は増えるか……それに、俺がそんな極端な馬鹿言っても、阿呆やてクソやて言われるだけや。そやろ? 結局の所、消費税なんかも今辻坂におる俺らにとっちゃ、そないに生きてくうえで大いに関係があるとは思えんし、暁だって消費税がゼロやろうが十パーセントになろうがどうでもええ話や。政治家とかは、そういった国の財政折半に関わるちまちました問題しか、話し合えん。そんなもんは俺以外の他のやつにやらせとけばええ。そういうのが好きな奴にやらせとけばええ」柚木耶はそれだけ話し終わるとまた、首輪をドライバで弄くり始めた。
「なんか、俺にはようわからんかった部分もあるんやけど……じゃあ、政治家より良い職業なんてあるんかな……金持ちっていう職業があればええな」暁は言った。
「俺が今思ったことやけど。あの職業が良いとか悪いとか、そんなこと考えること自体が不毛なんや。良さや悪さなんて、本人次第やろ。さっきの話やて、政治家を楽しんどう奴やておるやろし、俺みたいにああだこうだ、自分の思うように上手くいかんからって駄目なんて思ってないかもしれん。別に辻坂の農家やって、薩摩芋掘ったりトマト作ったりすることが、良い悪いなんてことがはっきりと言えん。楽しんでやっとるかもしれんババアやジジイもおるかもしれん。わからへん。ただ、その職業が存在するか、しないか、でええんやないかな。問題は今やりたいこと、成し遂げたいことを尊重するべきやないかってことかな」柚木耶はそう言いながらドライバを器用に動かす。暁がこうして何から何まで適当に話し掛けているのは、もし首輪が爆発したら柚木耶と喋れなくなるからだった。柚木耶は、さっきからこの首輪は偽者だと言い切っていたが、自分にはまだどうも信じきることはできない。「ところで、暁は何になりたいんや?」
「ん?」そう言われると、少し困ってしまう。「うーん、今まで黙ってたけど、実は俺の親父、政治家なんや」これは本当のことだった。
「はあ? いきなりなんなんや。パチこくな。そんなん信じるかボケ」柚木耶の返事は予想していたものだった。いや、誰だってこんな突飛な話、信じるはずもないが。「この前、何も俺に隠し事なんかしてないって言ったやろ。好きな奴の話になったとき」
「ああ。まあ、信じる信じないはお前の勝手や。別に信じてもらわんでもええ。不意に出た言葉として受け取ってくれ」暁は溜息をついた。「俺のなりたいもんの話やったな、だから……さっきの話がまあほんまの話やと仮定したとしての話やけど、もしかすると兄貴が政治家になって、俺は秘書になっとるかもしれん。秘書になりたいんや、多分」
「多分てなんや。ほんまにお前の意志でそうなりたいと思っとんか?」柚木耶は、あまりに突飛な暁の話にも驚いていない様子。「何や、兄貴にそうなれって言われたから、そうしようと思ってるだけやないんか?」
「いやいやいやいや、それは違うって。兄貴には借りがあるからやな。ここに俺だけ引っ越してこれたのも、兄貴がおったから。そうや、兄貴にはその時に将来俺に兄貴の秘書やらせることを前提で、ここに引越しさせたんや」もうこの際、全て話してしまおう。そう思った
「おい暁。それ初耳やで? お前、家出してきたってしか言わんかったやん」柚木耶はそれでもドライバで首輪を弄くるのを止めない。
「色々あったんや。色々」
「色々って何や? 教ええや」
そこで暁は閉口してしまった。言い堪えた、と言っても良いだろう。今このことを語ってしまえば、柚木耶と、一緒にいられなくなるかもしれない。
「やっぱな。今、言うのはやめとくわ。ほんまささいなことや」
「はぁあ? 別に『お前と俺の仲』なんて腐った表現する気は毛頭ないけどや。そんなん、聞きたくて仕方なくて眠れなくて寝不足になったらどうすんねや」柚木耶はふふふと笑った。「まあええけど」
良かった。はっきり言えば、本当のことは思い出したくも無いことばかりだった。それに、今でも何故かあのことがあった前後の記憶がはっきりとないのだから。今、話しても上手くイントネーションが伝わらないとも思った。
「ああ、そや。さっきのなりたいもんのことやけど」柚木耶はスイッチが切り替わったかのように、突然会話も切り替えてきた。「今何となくやけど、なりたいもんがわかったで。俺な……絶対的な、もっと破壊的な力が今欲しいと思っとるんや」
暁はそのギャップと内容の不透明さに思わず吹き出してしまった。
「漫画の読みすぎやろ、お前。念能力でも欲しいんか?」
「いや、これは真剣な話や。何て言うのかな……政府とかが俺一人に対して自衛隊を要請するくらいの、力。誰もが俺に恐れを為して逃げ出すくらいの圧倒的な力」柚木耶はくくくと笑った。「どうやったら、そんな力が得られるんか。そこさえわかれば……」
その時、かちゃかちゃと首輪が鳴った。もう弄くり始めて十五分ほどになる。
「よっしゃ。もうちょいで取れそう。このボルトを、レンチで……」ドライバを捨てて、地面に転がっているレンチを手に取る。「ほれ、取れるでもう。思いっきり引っ張ってくれ、暁」柚木耶が空いたほうの片手でこちらに来いと指示する。
「ほんまに? 怖いわ。自分で引っ張れんの? それ」確かにいきなり爆発したら怖い。でも、近づいていく暁。手を首輪に掛けて、首輪から極限遠い位置まで顔を離す。「一斉、のう……で」
思い切りその首輪を引っ張ると、がきっと鈍い音がして、ドーナツ状の首輪が真っ二つに、いや、半分に分かれてしまった。暁は首輪の片割れをまじまじと眺めた。さっきから柚木耶が弄くっていた部分には丁寧な跡が残っているが、今、暁が引っ張った部分は力ずく外したからか汚い切れ跡が残っている。
「ほらな。これはまがいもんやった」柚木耶は半分言った。「多分、爆弾があるってのも嘘やな。そーら」首輪を校門の外の方向に投げる。首輪は柚木耶の遠投で、悠々と門の上を越していき、夜の闇に姿を消した。柚木耶が自分に、それも投げろという素振りを見せたので、暁も、同じように門の外に向かって、首輪の片割れをぶん投げた。
爆発音はなかった。ということは、首輪は偽者だったのだろうか。
「暁、いっぺん門の外出てみ」柚木耶は言った。「あの首輪なさっきちょっとみたけど、何やただの外面だけアルミで作られたもんや。中身はがらんどうやった。しかも、ご丁寧に内側をちょいといじれば外せるようになっとった。こんなんはホムンクルスって阿呆が考えた、ウソッパチの狂言ゲームやったんよ」
「わかったわ」確かに、さっき首輪の片割れの中身をみたけれど、中身はがらんどうだったのだ。「よっしゃ」
暁は門の外に走っていき、「三段ジャンプいきまーす」と言いながら校門をホップステップジャンプの要領で跳躍した。
校門の外に出ても、何の変化もなかった。だが、冷や汗は少し出ている。ちょっとだけ不安だったのだ。
「何や、じゃあ、アイツの言ってたことは何やったんや? 嘘で、俺らを騙してたんか」
「そや」柚木耶が校門の外に出てきて、言う。「他の奴らにもこのこと教えたらんとな」
「ああ、じゃあ何でトッキー達待たんかったん?」暁は疑問を口にする。
「佐藤や庵がおると、やりづらくなるかもしれんかったから。いや、暁があそこで待ってなかったら、一人で俺は首輪外ししとったかもな。まず、この枷を外すことが最優先やと思った」柚木耶はポケットから煙草を取り出す。そしてボックスのマルボロメンソールから一本取り出すと、同じくポケットからジッポも取り出して手馴れたように火を点ける。「ここからは単なる憶測やけどな、お前も、佐藤も、庵も、瀬能も、彩もみんなアイツの話信じとるような風やったからな……」そう言ってから、ぷはーっと思いっきり煙を吐き出す柚木耶。
「煙草吸うと背伸びんくなるでよ」暁は言う。「でも、まあ確かに盲信してたんは確かや。俺なんか、鞄開けて、ほんまもんの拳銃が入ってたから、びびってたし」
「でもさっき、拳銃はほんまもんやったけど、弾が入ってない言ってたやろ? もう、それ聞いた時点で、なんかうそ臭いおもうてたよ。それにあいつ一人しかおらんかったやないか。俺が取った行動は、いろんな意味で安全策やったんやで。自分の命を守る為の」
「じゃあさ、みんな信じてないかもしれんね。ホムンクルスの言ったことなんて、こんなん嘘やと思って家に帰ってるかもしれん。ああ、でも彩は怖がってるかもな。あのさ、何で彩を待ったらんかったの?」それは確かに疑問だった。あの時、二回の廊下で暁が出てくる柚木耶に皆を待とうって言ったのに、それを断られた。まあ、自分は一緒に来ても良いと言われたので、それほど気にならないが。
「うーん。それは今でも後悔ちゅうか反省しとるけど……。あの時、少し焦ってたし、武器とかナイフとか銃とか本物やったらどうしようって思ってたし、どうも俺の後に出てくる三人が狂ったらどないしよかな……って考えた。まだその時は、この嘘ゲームがほんまもんやったらって猜疑心があったからかな」
「ふーん」
「だから今から、皆を説得しにいくのが先決やな」柚木耶はそう言うと吸っていた煙草が短くなっていたので、それをポイと路端に投げ捨てた。「よしゃ。まずは彩を探そうや」
「ところで、気になったんやけど。六樹館は何でホムンクルスの話信じてない思った?」暁は訊いた。「あいつなんか、一番やばそうに見えたけど」
「あいつは、特別や。自分の決めたルールは絶対に守る。あいつは、鼻から馬鹿らしいって顔しとったやないか」
「え? そんな顔してたか? 気づかんかった」
「いや、普段のお前やったら気づいとるはず。あいつは他人にそういった気というか、気持ちを隠せんというのか……正直なやつやからな、性根が。それにどうせ、あいつんち金持ちやから、何か電話でもして助けてもらえるとでも考えてくだらんとタカくくってたんかもしれん」
「ふーん」
「六樹館は、一見何考えてるかよう理解できんように思えるけど、まだ安心。ちゃんとした倫理観がありそうやし。俺にとっちゃ佐藤が一番わからん」
「なんでわからんの? あいつはふつうやでよ」
「わかってへんなあ、相も変わらずお前は。六樹館よりか佐藤の方がわからん。普通ってのは裏を返せば、最も危険な言葉やと思わんか? 異常な奴が単に異常であっても別に怖くないやろ。ほんまに怖いんは、正常という世界に潜んだ異常や。正常な奴、凡庸平凡普遍に見える奴こそ、実は異常をカムフラージュする術に長けてるんやと思う。世の中の知能犯って、一見、大体平凡普通に見えるやろうな。本当の内面に潜んでるもんは、当の本人にしかわからんからね」
そうかもしれない。正常、異常、真面目、変わっている、馬鹿、頭が冴える。そんなものは他人が決定した曖昧な評価に過ぎない。人は、自分のことでさえよくわかっていないのに、他人と少し一緒の時間を過ごしただけで適当に、評価を下している。いや、自分でも気づかないうちに自然とそういうのは決定していて、それを踏まえたうえで付き合っているのかもしれない。まあ、それは共存していく上で当たり前のことなのだけれど。柚木耶に対しての暁の評価だって、自分では気づかないものの何となく決定しているかもしれないし。当の評価される本人が下したものじゃないから、信憑性はない。暁は、何となくそんな意味のなさ気なエンドレスな思考に耽る。
「佐藤は、あんまり本音を口に出さん男やった。六樹館なら、たまーにやけども、本音を出しとったんちゃうかな」
柚木耶はそうぼやくように呟くと、校門をくぐり、校内への道を引き返していく。暁も後を追った。
深夜の学校は闇夜にぼんやりと不気味にその原型を留めたままだ。何だか、引き返すのが怖い。暁は、そんな気がしてきた。既に殺し合いが起こっていて、誰かが、もしかして御苑彩や庵加奈が刺されて死んでいたりしたら……そんな根拠も糞も益体も無い妄想が浮かんできた。何故か、その彩や加奈が倒れている隣で、さっきの話で出た佐藤時宏がナイフを持って立ち尽くしているシーンがもやもやと思い浮かんできた。暁は、そんな狂った妄想を振り払うようにして、早足で柚木耶に追いついた。
*
ホムンクルスは、六樹館有栖の半歩前を歩いている。二階の教室を手当たり次第に探し回っても、誰もいないようなので、次は一階に降りてみることになった。有栖が自分の前を歩かない理由は、ホムンクルス、いや自分が彼女をいきなり襲ったりするかもしれないとの、有栖の考えだった。確かに前を歩いていたら、色んな意味で襲わないわけにもいかない感じではあるが。それは彼女の可憐さや、今現在の状況を踏まえてのお話になる。
畜生、脇腹と下腹部が痛い。ずきずきとした疼痛。本気で蹴りやがって……マジに痛い。ひび入ってたらどうしてくれるんだよ。おいおい、姉ちゃん。軽く溜息。でも仕方が無いことだ。あれだけのリスクを冒したのだから。唯一計算外だったのは、六樹館有栖が武道経験者だったことだった。確かに、あの自分の暴走とも取れる発言は、失敗だったかもしれない。半分くらい話が嘘っぱちでもあるのだが。しかし、自分が集めたデータは一ヶ月という僅かな期間であったものの、ちゃんとしたプロに任せたものでもあるのだから、確信があったのだ。有栖はただのお嬢様で、手でも捻り上げて薬で眠らせて縛り上げておけるものと思っていた。そして、何ら問題なくこのゲームは進行する。ゲーム、自分自身の計画。これを見破られたことに関しては正直、もう仕方が無いとも思う。ゲームの駒が反乱を起こした。ゲームマスターがやられてしまったようなものだろう。そう思えば良い、多分。たとえ自分がいなくとも、この『ゲーム』は違った意味で進行する。異なる視点、意義の『ゲーム』が。しかし……確信していたからこその暴走であったというのに、ああなってしまえばむごいやら情けないやらで自分的には最悪だ。まだ、救いになっている要因。それは、有栖が自分の暴走発言だけがこのゲームを引き起こした全ての起因だと信じきっているような節にある。まあ、彼女程の人間だから顔色に、口に出さないのが本音なのかもしれないという部分もあるのだが……。このゲームを計画した意図は、実はあれだけではなかった。本当の理由は、あれだけではなく、彼等七人自身に包含されていることも存在する。これは何とはなしに情報屋から訊いた内容を初めて耳にした時、一瞬で閃いたものでもある。そのことは、まだ悟られていない。半歩後ろを歩く有栖にも飲み込めていない。後ろを軽く一瞥すると、何か俯いて考えている様子の有栖。否、彼女の頭には自分の真意など毛頭にないだろう。彼女は、今多分、他のことを模索中。多分、共犯者の類、情報の提供主に関するもの辺りか。それともこれからの最善の動向、或いは状況確認。そういったものだろう。先にも言ったとおり、嘘は大得意だ。躯を張った狂言も、有栖が言う『一枚の手札』に過ぎない。しかもまだ、自分には隠された切り札が残っている。まだ、切られていないジョーカー……それほど強大で強靭な威力を持つもの。否、だからと言って、出すタイミングが重要。大富豪にしても、ジョーカーを切るタイミングは難しいものだ。
「二階は気配がない。ということは、一階しかないし」何やら呟いている有栖。右肘を左手で支えて何やら思索にふけっているといった感じ。思索し悩んでいる姿も中々、ツボだ。いつもの微笑よりかは、幾分か好奇心をそそられるものがある。この擬似的な極限状況が想像した賜物。ホムンクルスが生まれてこの方、深夜の廊下を女の子と一緒に歩いたことはない。誰でもないに決まっている。街中でナンパした見知らぬ女と何となく歩くのとはわけが違う。妹と買い物に行くのともわけが違いすぎる。今、そんな状況に何故か歓喜し高揚している自分に気づく。よく考えてもみれば、このシチュエーションは自然で非日常がいい感じに出てるなあとも思う。もう、今を逃せば彼女と――六樹館有栖とは、二度とこのような条件で並んで歩くことは出来ないだろう。まるで恋愛シュミレーションゲームのワンシーンみたいだ。だが何度もプレイはできない。同じような条件は唯一このTPOでしか味わえない。これが、現実の醍醐味。そしてそこが欠点。記憶や想像でしか反芻ができない。思い出すことでしか、彼女は味わえない。自分にとって最高の記憶を何度も再生できる機能が現実に欲しいとさえ今は思う。「おい。訊いてるの?」
「どうしたのさご機嫌だね、有栖様」
「貴方のせいでたいそう不機嫌なのです」
「はいはい。そうなのですねー」何が気に入らないのか、有栖はすっと構えの姿勢を整える。でもまた姿勢を元に戻す。
「単なる質問。さっきからずっと考えていました。もしや、ほんとは私が目的でこんなことを計画した? これは特に貴方の私に対する個人的な感情が目的だということは基本的に除外です。もう適当に呼ぶ名が見当たらないから『君』と呼ぶことにしますわ。有り得ませんからね。しかし、何らかの財産が目的、先程の情報を元にゆする、といったことなら何となく見当がつきます。今のうちに白状しておいた方が君の身のためです。補足して言うなら、今の私にたかるような財産など生来残ってもいないものでしょうけど。絶縁ですからね、一応形としては」有栖は蔑んだ眼でこちらを見据える。
「脅迫的に詰め寄られても、叩いても蹴ってももう何もでてこないよ。もう僕に切り札も手札もないって言ったのは君だろう? 最も出てくるのは、君たちへの個人的な感情あるいは評価くらいのもんだ」
「わかりました。嘘か誠かは後になればわかります。警察に突き出しますからね」
多分だが、それこど有栖ちゃんの狂言であることは間違いない。さっきはあれほど怯えて見せたわけだが、警察に突き出すにしても、理由が曖昧だし、拳銃を買ったことについて追求はされるだろうが、その辺りはいくらでも隠蔽できる……はずだ。いざとなったら金でも皆に渡して、口裏を合わして隠せば良い。銃自体をどこかに捨ててしまうのも良いだろう。結果的に人が死ななければ、事件には発展しない予感がある。まあ、有栖には逆らわないでおこうと思う。自分は彼女の秘密を一部分にしても握ってしまっているのだ。有栖にしてみれば、こんな些細なゲームの非人道性よりも、そっちの方がよっぽどタブーだろうし。提供してもらった情報の中には、有栖は血の繋がった実兄と二人で六樹館に隠居している、とあった。多分、そのことはまだ『あの家』の連中も掴んではいない。自分がいずれ情報を『あの家』に漏らすことを考えれば、有栖も情状酌量の措置を取らざるを得ない。まあ、殺すとか言ってたから、秘密を握ってしまったホムンクルス自身――自分自身を消してしまう方が話が早いとも思われているならば、こちらは危険なのだが。確かなことは、その秘密を握っていることで有栖ちゃん自身が、まだ完全に自分の掌の上の駒として逃れられないことだけだ。まあ、今はそれで良い。
一階に降りるボロの階段が見えてきた辺りで、有栖ちゃんはふとさっき渡されずに取り残された鞄の存在に気がついたようだった。有栖はホムンクルスに、教室に戻って取ってきなさい、命令する。仕方なく自分が取って来てやると、その鞄の中身を吟味していく。ああ、これらは僕が入れたものだったっけな。そんなことを思い浮かべながら、おもちゃのギミックナイフをホムンクルスのお腹にぐさぐさと突き刺す。勿論、ギミックがあるので、刃は刺さらない。刃はそれっぽく本物に見せかけたプラスチック製。痛くも痒くもない。次に、水、時計、お菓子、ああこれは確か昨日隣町のスーパーで狩ったコアラのマーチ苺味。食べたいなあ。そのコアラのマーチを手に取る有栖ちゃん。そしてこちらをじいっと見つめる。どうしたのかなと思っていたら、びりびりと蓋を破き始めた。ああ、お腹が減っているんだね、ダイエットとか気にせず好きなものはどんどん食べた方が良い食べないよう我慢することがストレスになって太っていくのだから。などと薀蓄科白も思いついたが、まあまた蹴られるだろうし言わないでおこう。そう思った。ホムンクルスはじっとその様子を観察していた。
「何ですか? 私だって人間なのですからお腹は空きますよ。あ、わかった。欲しいのでしょう。残ったら分けてあげます。鬼じゃないから」そう言いながら、ぱくぱくと可愛げなコアラ達を口の中に放り込む有栖ちゃん。「コアラのマーチ、食べたの何年ぶりかしら」
「庶民的なお菓子に嗜みはなかったの? やっぱり三時のおやつはマドレーヌとか苺のショートケーキとかだった?」思わず訊いてみる。「チキンラーメンやカップラーメンは食べたことある?」
「たまにはそういったものも食べました。街に出かけたときにはよく、スーパーに立ち寄ってお菓子を買い占めたりしたものです」
「大人の箱買いみたいな買い物の仕方だね。僕なんか、オマケ付きのお菓子さえ買ってもらえなかった。というより、辻坂の近隣にはスーパーなんてなかったから、買い物にもついていかなかったし。いつも母親が隣町で買い物してきても、ドラゴンボールスナックばっかりだった。あの頃は何でいっつもドラゴンボールスナックしか買ってこないのかって憤慨したもんだよ。SDガンダムの基地とフィギュア付きのやつが欲しかったんだ……。だからフリーザとかギニュー特戦隊のメンコが二十枚くらいだぶってるんだ。滅多に買い物にいかないもんだから、まとめて十袋は買うんだよ、うちの親。異常と言っちゃ異常な親だったな……」
あまり関心もなさ気な様子だったが、とりあえず軽蔑した眼で「まあ」とか「そうなの」とか相槌を打ちながら、コアラのマーチを咀嚼する有栖ちゃん。
「環境不和が原因でそんな性格が形成されたの?」
「違うよ。僕のは多分……漫画やゲームばかりして引き篭もってたのが悪かったんだろうな。おいおい悪いのは自覚してんのかよ、って自分ツッコミだけど。ほら、人って絶対に何かに影響を受けて育つって言うでしょ? 僕の場合、ネイチャーズタウン辻坂で漫画やゲームばっかりしてたから、他人とのコミュニケーションも少なくてね。学校にも同級生がいないんだよ? 喋る相手は自分だけだよ、全く。まあ、そうは言っても真性のヒキオタじゃないし、人並みには喋れるから、女の子ともこうしてまともに話せるけれど」
「君と違って私の場合は、小学校でも話し掛けられなければ誰とも喋れない生活を六年間過ごしたけれど、それが普通なんだろうと思ったので孤独だとか寂しいとか思ったことはなくてよ。ああ美味しいわ、これ……」むしゃむしゃ食べる有栖ちゃん。乙女座りだし、しかも手つきも上品。口元も一切汚していない。「君はそういった孤独の状況に置かれたとき、必死で誰かと一緒でいようと心掛けたかった。寂しがり屋なんでしょうね、君。だから、慣れない環境に溶け込めなかった時も、そうしてどんどんと内へと内へと想いを抱え込んでいった。それがさっきの根源かしら」
「そうと言えばそうかも。でもそれが自分を発散する唯一の術でしかなかった。世の中にも僕に似たような人は沢山いると思うのですよ。どんどんと深遠へと篭って、深遠へと堕落することでその例えようの無い想いを流し込んでいくような……抽象的ですけどね」
「嗚呼……喉が渇いたわね」二リットルのペットボトルにそのまま口をつける有栖ちゃんを見てると、何だか庶民的だなあと思う。
「お菓子、全部残さず食べたんだね。残す気なんて毛頭ないじゃないか、有栖様」
ごくごくと音を立てて水を喉に通す有栖ちゃん。いや、有栖。六樹館有栖。その表情は、とても潤っていて、心地よい感触。触ってみたい、触れてみたい、と思った。
「さあ。出発しましょうか。今はこうしていますけど、ここからは油断は禁物ですの」有栖は口元にハンカチを押し当て、僅かな水滴を拭う。「そう、油断は――禁物……あら、どうしたのかしら」
立ち上がった途端、突然バランスを崩す有栖ちゃん。自分が支えてあげようとすると、それを頑なに拒む。どうしたのだろう。眩暈だろうか? まさか。そんな不用意な真似は彼女に限って有り得ない。人前で気を失うなんて、そんなことが……。ふらふらとした足取りでホムンクルスから遠ざかるように、階段を降りる。そして踊り場の辺りで膝をついた。急いで駆け寄る自分。本当にどうしたのだろう。まさか、まさか、持病持ちとか。
「この感覚知っている。薬だ……! 水に、薬を盛ったね……許せない」
嘘だ。自分は薬など盛った覚えは無い。自分ではない。有り得ない。だとしたら。可能性として考えられるのは。
「もう、駄目だわ。君、どこか、私を、誰もいない場所、に連れ」そこで有栖はうつ伏せに腕を枕にするように倒れた。階段の踊り場で。
気を失っている。否、眠っている。有栖が完全なる無防備な上体に陥っている。
「僕がやったんじゃない……」
そう呟く自分。
「じゃあ一体、誰が」すうすうと寝息を立てている有栖。
そう呟いたとき。背後に気配を感じた。
「油断は禁物なのにね」
後ろにいたのは、あの時教室に鞄を投げ入れた男――そう、『ホムンクルス』と名乗った怪しい情報屋であった。
では『飼体と肢体と屍体としたい』の5を読みたい方は
コチラ
屍体は君?
---Ⅲ---
六樹館有栖は、姿勢を正したまま席に座していた。
だが、有栖の視線は机に頬杖をつき、つまらなさそうに窓外へと集中している。ホムンクルスが話をしている間も、有栖は何度か足を組み直したり栗色の髪の毛を指で摘まんでいたりとくるくると指に巻いていたりと、有栖自身は意識していないはずなのに、見る者に対し魅力を堪能させる力を持っている。キュートではなく、ミステリアス。時にとてもコケティッシュな仕草は男性なら、誰もが荘厳神聖に扱ってしまうようなものばかりなのだ。だが、その仕草の半分近くは、他人を振り向かせるあるいは、声を掛けたくなるように有栖が仕向けた演技でもあることはかなりの人間が理解している。理解した上で、大衆は有栖の演技を評価している。
有栖特有の足の組み方は、上品でいて高圧的な物腰である判断しても構わない。客観的に見れば、高飛車、それでいて威圧的なオーラを放つその姿勢は、話し掛ける者及び彼女を観る全ての人間の空気を高貴で優雅なものへと変容させる。だが、そんな姿勢を崩さない有栖の精神状態というのは、大抵、気が立っていたり機嫌を損ねている時のどちらかだ。
何が言いたいのかというと、有栖にはこの辻坂林間中学三年のクラスメイト達が、自分に一般人ならでは予測できる反応をしないから腹が立っているのだ。そういった点から、有栖自身の五割方演技を完全に見抜いている六人だということで評価できるのだが、あまり気に入ってはいない。有栖は昔からそうだった。他人を自分の意のままに操っているという状況に快感を得る性格が完成されていた為、思い通りの反応を示さないと苛々してくるのである。
だが、そんな現状に無闇に抵抗せず、心のどこかでは、「いずれ、六人にもわかる筈」と思っている有栖である。というよりも、たった六人という微小な人数である為か、それともこの辻坂という地域では、一般的な評価など得られなくても仕方が無いとも思う。この村の人間は、有栖とすれ違っても都会でみかけるような、一瞥しながら見とれるようなケースは殆ど皆無だし、特に小さな子供達が「人形人形」とはやし立ててくるくらいのものだ。ケンタッキーの人形と写真を撮るような揶揄のされ方である。自分と写真をねだる者もいないし、有栖目当て(嗚呼……田舎だといささか汚れた表現がよく現れてしまうのね……自粛自粛)とかお茶に誘ってくる紳士もいない。農作業姿の老人に挨拶されるくらいで、御飯をご馳走になったりはして、それといった若い男もいるにはいるのだが、彼らでさえ有栖のことを綺麗なお姉ちゃんとしか言わない。
辻坂という町……否、村は、下品過ぎて偏頭痛になりそう、というのが有栖の実際の感想である。当初、ここに来た時は村民の反応にいたく傷心したものだが、最近はようやく慣れてきたせいもあってか、一時の憤慨はどこかへ消え去ってしまい、今は何故か「憂いのある乙女」が有栖のパーソナリティとなりつつある。
「訊いてる? 六樹館有栖さん。君で最後だ。出発だよ」
ホムンクルスは、有栖の目の前で両手を大袈裟に広げてから、ドアの方向をびっと指差した。有栖は突然視界に入ったホムンクルスに少し動揺したものの、そこで微笑を欠かさない。有栖の推理では、ホムンクルスは女性へのアプローチが非常に得手と見える。先ほど、御苑彩が出発する時も何かと頻繁に話し掛けていたのだが、全て無視されていたようだ。
「おや。微笑みの爆弾、だね。まあ、どうでも良いか。君は皆とは少し違った視野を持っている。とても社交的で女王様チックで、実は非常に高いプライドを有している。加奈ちゃんもそのような人間に近いのだけれどね」
楽しそうに話すホムンクルス。軽くスキップ気味に教卓へ戻る。
「どういった意味で?」微笑みながらも、多少攻撃的な口調で切り返す有栖。「女王様、と言うのは聞き捨てなりませんね。そもそも微笑みの爆弾ってのが理解し兼ねますが」それに庵加奈と比較されるというのは非常に不愉快な話である。有栖にはあのパーカーとかいう俗世の人間が着るようなものを纏った女には、ちっとも「女性」が感じられないのだ。
「幽白知らないの? ジャンプの名作。まあ良いか。気が付かないようだけど、君は大分クールを装うのが好きみたいだね。いやいやいや、そういうのは嫌いじゃない。でも、意外性がないだろう? まあ、そんな女の子は、僕個人の経験では、君が二人目なんだけど」ホムンクルスは軽く批評っぽく話す。「それが君の主人格なんだから仕方無い。人間は他人との距離をどう置くか、どう見られたいかが人生を左右してくる。君はそういう風に見られたいのだから仕方ない、と言いたいんだよ」
「わざわざ分析して下さったことには感謝致しますが、意外性という面で見て、世の中に意外性を求めているのは男性の個人的な陰の欲求に過ぎません」この程度の理論武装に看破される有栖ではない。「私に言わせれば、貴方の異性に対する曖昧な態度は少し観るに耐えないですわ」
「ほうほう、冷静だね。いや、誰もが冷静でいようとすることで自分を保っているんだからそれは当たり前。当たり前田のホームラン・バット。はい意味不明、ごめん。しかし君にもその外面という鎧を脱ぎされば、混沌とした内面、秘められた世界が広がっている筈」ホムンクルスはくるくると回りながら喋る。細身なので不安定だ。
「私の内面? それは感情に過ぎません。感情こそが本当の内面なのでしょう。喜び悲しみ怒り、それら全てが人間の内面を物語っています。人は感情と必然だけで歴史を創ってきた動物なのです」有栖は少し真面目な面立ちでそう言う。「つまらないディスカッション、ですわ」
「ほう、中々の自己分析能力だね。しかも、社会に対しても鋭角的だ。これは、もしかすると庵加奈並かもしれないけれど……彼女とは全く異なった方向性を持っている。僕に言わせれば、加奈ちゃんは子供で、君は大人。でも、加奈ちゃんの方が、あらゆる意味で人間に対して脆い。多分加奈ちゃんは今ごろ、困惑してると思うよ。あの子の知識は半端じゃないよ、でも実際の現実世界での不意のトラブル等に対して免疫がまだ作られていない。経験不足なんだよね。真逆に、君は経験豊富だ。そういった意味で大人、と僕は言った」
「貴方もそうして傍観者気取りで人を観ていてばかりだと、誰も本当の貴方を観てはくれなくてよ」何だか久しぶりに白熱している自分に気づく。ホムンクルスは他人の思考をあらゆる角度からスティミュレイトさせてくれる。格好の話の引き立て役、という意味では評価したくなる有栖だった。「私自身にも言えることだから深く追求はしたくありませんが、真っ向に自分と言うパーソナリティを周りに向けて発散していることで、自身にも相手にも良い影響を及ぼすことはあります」
「斜めに構えているように思われがちなんだけど、それは誤解だな。ただこうして、今のようなキャラクターに成りきる事で、自分を発散しているかもしれないじゃないか。斜めに構えている傍観者的な自分に、酔いしれている、ということ。インターネットの日記サイトとか観てると、そういうのが顕著に表れるよね。やけに衒学的だったり、お茶目だったり。彼氏彼女らは、何かと計算して文章を綴ったり、現実だと喋ったりするんだよ。まあ、現実、いやリアルでそういうのはかなり痛い系として観られるね。でも痛い系で笑いを取る奴もいるから侮れない」ホムンクルスは眼を細めてくっくっと笑った。下品だった。
「まあ、これ以上話を続けると、内容の道筋が延々と貴方と私の人間分析の深遠へと伸びて行きますから、お遊びは終わりにして本題に入るとしましょうか」
「え? これで終わりじゃないの? 早く出発してよ。もう、みんな殺しあってるかもよ」
そう言いながらも、有栖の話を期待しているようだ。この男は、こうして人を介して自身の快楽を得るためだけに会話を行っている。まあ、有栖もそうと言えばそうなのだが。有栖の場合は方向性が異なる。有栖はやや自身を他人に振り向かせようとする行為を楽しんでいるといったところか。
「このプログラムとやらが、貴方の戯れ言ではないかという指摘がまず一つ。それに、何故貴方がこうしてここに一人だけいるのかについてで二つ目。何故、このクラスが選ばれたのかということについてで三つ目。この首輪の性能の真偽について四つ目。貴方が何故、武装していないかという点について五つ目。優勝者には何が与えられるか言及していない点に六つ目」有栖は、そこで息をついた。「まだまだありますが、大々的に不自然であり矛盾だと考えられるのは以上の六つでしょう」
「その回答には答えかねるものがあるな……」有栖はホムンクルスを睨みつける。今までにない迫力で、いわゆる感情を少しだけ解放した状態。「あ、いや。参ったな。まあ」
「はっきりと仰ってもらえませんか? 私は最初から見抜いていました。いや、先に出ていった六人も皆、お気づきのはず」指でカールさせた栗色の長髪に眼をやる有栖。「今、狂言だと白状すれば、授業中の教室に睡眠剤を充満させ、私を眠らせた罪、こうして私に首輪という枷をした罪についても私からの刑務は軽減してさしあげますが」
「君はわかってないよ。睡眠剤を撒いてまでやる必要があることなんだ……これは。首輪だって買い揃えたし、十分な人材を見越した上でここでやらせてもらうことになったんだ」
「やらせてもらう? 貴方、墓穴を掘っていてよ。これは貴方個人で行っていることじゃないのですか? その可能性は大いにありうるものだと思われます。こんな人道的でないことが世間で許されると思っているのですか?」有栖は無表情で言った。ホムンクルスが参った、という顔で辺りを行ったり来たりうろうろと落ち着かない様子になり、やがて教卓を二度ほど叩いた。
「確かにね。世間はこれを認めないだろう。なんだって、これは殺し合いをさせる。人を殺す、ものだからね。君達が殺し合った末、優勝した誰かが殺人に問われてしまうことも事実だ。けれどね、この中では合法なんだよ。非合法じゃない。許容されているんだ」ホムンクルスは俯きながら言う。「首輪だって本当に爆発するし、支給した銃だってちゃんと、その手の場所から仕入れたものだけだ。苦労したよ。拳銃を何丁も買うのは。相手が中国人の『〜アルよ』口調のおじさんで、僕がまだ高校生くらいに見えてしまうものだから、中々売ってくれないんだ」
「冗長にしないでください。ああ、全く……もう! 本当に知りたいことが一つだけありますの。貴方は、国家に関係なく個人的に、これを行おうと睡眠剤や首輪や拳銃を用意したのですか?」有栖は苛立っていたせいか、溜息をつきながら顔を自分の肩をぎゅっと握り締めた。「それならば貴方は、ただの誘拐犯です! プログラムとやらの担当教官でもありません!」
「はぁ……そこまでお見通しなら、話は早い」ホムンクルスは教卓の中に手を突っ込み、何かを取り出す。何かの起動スイッチのような小さなリモコンだった。「君の存在が要らなくなった。ここで消えてもらう。勿体無いけれどね。今まで、君の為に費やした優雅なる時間を思い出すと、悲しいが」
「待ちなさい!」有栖はホムンクルスの持つそれが、レーザー照射装置か首輪の爆破スイッチであることを本能的に悟った。椅子を立ち、有栖は教卓の方へゆっくりと歩を進める「貴方ほどの人間が、何故こんなことをしてまで、成し遂げたかったことというのは何なのですか!」
「うるさいな。それ以上近寄ると、君は死ぬことになるよ。もう冗談は抜きだ。本当にやる。やると言ったらやってやる。そういう男だからね、僕は」ホムンクルスはこちらにスイッチを向けたまま、微かに微笑んだままだ。「君には死んでほしくない、なんて科白は吐かない。それほど甘い人間じゃない、僕は」
「問いに答えなさい!」
「嫌だね」
「問いに答えたくないだけでしょう?」
「うるさい」
「自分からそうして逃げているつもり?」
「うるさいな!」
「貴方、自分のしていることがどれだけ愚かで浅ましいかわかっているの?」
「いい加減にしろ!」
「認めてしまわないことには、何も変わらないの。世の中には認めなければならない仕組みや不条理がある」
「そんなのはこりごりだ!」
「私だって、それを許容して今ここにいる。今、こうして貴方と対峙している」
「やめろ」
「嫌なことからそうして逃げているつもりなのかしらね」
「逃げてない。僕は何からも断じて逃げていない!」
「あら、強がりね。もう、貴方は崩壊してしまっている。大人しく引き下がりなさい」
「逃げてなんか……逃げてなんか逃げてなんか逃げてなんか逃げてなんか……」
「つまらない意地は見苦しい。貴方は今現在、あらゆるステイタスで六樹館有栖より劣っている。観念なさい」
「劣ってなんかないね。何いってんだい?」
「そうやって弱みを隠し切れない人間こそ、弱い。貴方は今の私を観て、弱みを何処かに発見できますか?」
「君は、六樹館有栖。唯一つの弱み。それは」
「それは? 何?」
「『六樹館』の養女になる前、姓前の話だね。『あの家』にいた」
「どの筋から入手したか情報かはしらないけれど、私はもう『あの家』とは一切関係ありません。たとえ『あの家』の者と街中ですれ違ったとしても、他人に過ぎません」
「君には兄がいる。それとは別に父との確執が原因で、『あの家』を飛び出してきたんだろう? ていよくいえば家出娘だね」
「しどい、ですわ。兄様もあの男も全く持って一縷も関係がない。私の意志であの家から縁を切りました。」
「…………君は」
「限界でしょう、もう」
「…………」
「問いに答えたらどうなの?」
「ああ」
「聞き分けの悪い子供はいつだって嫌い」
「君は、その兄さんのことが好きだったんだろう? ずっと、ずっと、ずっと、ずっと。愛していた。愛していたからこそ、二人で六樹館に舞込んだ。二人の愛の巣ってわけだ。僕は知ってるぜ。あの家は昔から住んでいた気の良い爺さんが君を養女にしたなんてのは嘘だと。あの爺さんは実はあんたのおつきの部下の一人で、本当は兄さんと二人で暮らしている」
「…………そうかもしれないですし、そうでないとも言えます。他人の貴方に話すべき内容じゃありませんね」
「おや。図星かな。ここは、僕の勝手な推理だが、君は兄さんと何かがきっかけで肉体関係を結んでしまった。そうじゃないかな? そしてそれらの情交の場面が『あの家』の誰かに目撃されてしまった。そう、そして君を溺愛していた父親がキレた。そして君達は逃げた。そうじゃないのか?」
「いい加減にしろ。貴方に話すべき内容ではない、と私は言っている」
「推理だよ推理。妄想が好きなんだよ、僕は」
「誰から聞いたか知らんが、それ以上他言すると、必ず死ぬよ。私がやるわけじゃないから、わからないけれど。貴方にその情報を漏らした人間がいるのなら、全て根絶やしにしてくれる」
「ああ怖い。もうやめておこう。死にたくはないからね。地が出ると、可憐なお嬢様も冷血漢になるのですね。ふふ」
「…………」
「どうしたの?」
「ところで、貴方のことについて聞きたいのですが。貴方は、何をしたかったのですか? もう切ってしまえる手札はありませんよ。それに、もう、私を崩す為の切り札も失くしてしまった」
「…………そうだね。もう、言うべきことは無い」
「聞き分けの悪い子供は嫌い」
沈黙。
「問い? 僕がしたかったこと? もう良いよ! もうどうだって良いさ、失敗したんだからね、この計画は! そうともさ! 全て教えてやるとも。手始めに僕の正体を教えてあげようか? 僕の正体は単なるいち大学生だよ。至って不真面目で、一般的なね。君らみたいに隠居する財力もない。気品も無い。田舎で育った平均的な人間だ。驚かないでくれよ。僕はこの地、辻坂で生まれ育ったんだよ。辻坂林間中学もちゃんと卒業したし、今も自宅の額縁に卒業証書が飾ってある。それに君達がドングリと言っていた先生のことも知っている。彼女のあだ名、昔はクリボーだったんだぜ? 何故なら当時、彼女は僕が辻坂中に通っていた三年間ずっと担任だったからだよ! まあ、生徒は僕だけだったけどね。熱心でハジけてて面白い先生だった。僕と二人だけでいつも授業していたよ。二人で寝ているだけの授業もあったし、二人でしりとりをしただけの授業もあった。あの先生は、よく語ってくれたよ。とにかく楽しかった。でも僕は中学を卒業して、都会に出たんだ。そう、神戸にね。神戸に出た僕は何とも嫌なギャップを味わったものさ。都会とは何て冷たい所なんだろう。誰も構ってくれやしない、構ってくれたところで、それは大して他愛もないくだらないおべんちゃらの会話ばかり。大人になんかなりたくない。やけぼっくいに火が点いた、と言うのかね、僕は煙草を吸い始め、素行は悪化し、やがて学校にもあまり通わなくなった。一応、卒業できる程度に出席したよ。だから地元に帰っても引き篭もりがちになった。母親の声『学校にも行かないんだったらアルバイトでもしたら?』そんなの嫌だ! 『就職できるの?』腐った社会なんて大嫌いだ! そうさ! バトロワを読んだのもその頃だった。僕はプログラムという架空世界に足を踏み入れたんだ。ネットでぐだぐだとバトロワ関連の知識を漁っていた時、僕は素晴らしいものを見た! オリジナルバトルロワイアルというやつ……二次創作小説、に僕は食いついたのさ。何て、素敵な世界なんだろう? と僕は思ったさ。これなら、僕にも書けそう、だなんてね。今考えてみれば、こうした何の根拠も無い自信と過剰妄想が作家志望者という哀れな人間を生むんだろうね。哀れだよ。本当に哀れだ。彼らは作家志望者であると言う限り、作家志望者でしかない。この深い意味がわかるだろうか。彼らは何のあてもなく作家になれると勘違いしてるんだ。そりゃ、なれるかもしれないぜ? でも、そんなのはごく一握り。プロの将棋指しになるくらい難しいだろうよ。まあ良い。当時の僕はね、小説なんてまるっきり書けなかったんだ。読書感想文なんてクリボー任せだった僕は、そりゃあ小学生も真っ青な文章を書き散らしたさ! 徹底的に扱き下ろされる悪文の一例『そこで●●は●●と思いました』とかね。僕はそれなりに小説を書いたさ。でもね、そんなの小説ですらなかったんだ。小説にすらならないゴミクズなんだよ。時間と労力の無駄。完全なる自己満足。客観的に観れば、ただのキチガイ高校生の狂った駄文だとね。周囲の反応は冷たかった。つまらないだの、特色がないだの。当時、小説家に憧れていた時期もあったさ。でもね、ある男が言ったんだ。『君にはなれない』とね。僕は愕然としたよ! その通りのことを言われたからだ、図星だったんだよ! あれは痛かった。でも逆にそれに対し、奮起した僕は本気で小説を書こうと思った、小学生並の作文レベルを脱してより小説の高みへと辿り着く一心でね。僕に何が足りていないのか。それは明らかだった。それは小説なんてちっとも読まなかったせいなんだ。僕は昔から人より数百倍は漫画に傾倒していたから、小説なんて読むにも値しないものだと思ってた。でも、それが間違っていたことに気づく。駄目なんだ。小説を書くには、まずプロの作家を真似るしかないとね。それから僕は狂ったように本を読み漁り始めた。純文学もミステリもホラーもSFも世間じゃライトノベルと卑下されるジュヴナイルとかもね。作家を挙げていこうか? 高見広春、時雨沢恵一、村上春樹、森博嗣、京極夏彦、宮部みゆき、上遠野浩平、乙一、西尾維新、佐藤友哉、清涼院流水、北山猛邦、滝本竜彦、飛浩隆、浦賀和宏、舞城王太郎、大塚英志、筒井康隆、松本清張、横溝正史、江戸川乱歩、山口雅也、我孫子武丸、綾辻行人、島田荘司、今野緒雪、夢枕獏! まだまだあるけど書き切れない! 海外ならってか作家じゃないのもあるけど、P・オースター、サリンジャー、ゲーテ、ニーチェ、ゴールディング、ダニエル・キイス、カフカ、ジョイス、ガルシア・マルケス、ヘミングウェイ、トルストイ、クリスティ、ドイル、梶井基次郎、武者小路実篤、森鴎外、夏目漱石、宮沢賢治、谷崎潤一郎、吉川英二、司馬遼太郎! 全然海外じゃないのも混じってる。ああ、まだまだある。でも、まあ僕の中で覚えてるのはこのくらいかもしれない。読んだことすら記憶に残ってないものって多いからね。で、話は続くけれど、本を読みまくった。でも、でもだ! 本を読みまくっても小説を書かなきゃ意味が無い。そう思った、僕は久しぶりにパソコンのワードを起動したんだ。いつもなら、すぐにサイト巡回を始める僕がだよ! そして小説を書いてみた。その小説を書いている瞬間、これならいける、これなら……と手応えがあった。小説は最後の場面まで書き上げた。そして、それをどこかの出版社にでも持ち込もうと決めていた。でもね。僕は、過去に苦い経験がある。これが駄目なのでは? こんなもの小学生並の作文じゃないのか? という苦い不安の記憶がね! でも僕は負け犬だけにはなりたくなかった。バカでも良い。バカになれない奴は負け犬だって尾崎豊も言ってただろ! 大人達は心捨てろ捨てろと言うが俺は嫌なのさ……とにかくもう、逃避や失意だけは味わいたくない。シェリー、いつになれば俺は報われるのだろう。そんな尾崎を心に浮かべながら、僕は書いたんだ。書き上げたんだ、ついに! 僕は完成した小説を眼を穴にして読み返した。すると……驚くことに、何てこんな下手糞な三文にもならないものを書いたのだと、そう失意の渦に溺れた。結局、その長篇はデータ上で消し去った。意味もないものは残したくなかったんだ。だから僕はネットで公開することを敢えて避けた。これはちっぽけなプライドだよ。消しゴムのカスにもみたないちっぽけな大きさのやつだ。僕は常々不思議に思っていたことがある。オリバトサイトの皆は、何故、意気揚揚とネットという場だからと言って、自信満々に小説を公開するのだろうか? ということについて。僕はその時、やっと気づいたんだ。自分に足りなかったものについて。僕に足りなかったのは、自信だったんだ。微かな自信だったんだ! 少なくともヘッポコなオリバトサイトから大手とされるオリバトサイトまで、僕よりか一つだけ必然と勝っていたものがあった。それが紛れもない、自信、そのものだった。そのことを後押ししたのはそれだけじゃない。大学受験の合格が僕に微かな自信を宿らせてくれた。僕は勉強なんてからっきしだったから、大学進学もやばかった。そこを何とか二流ラインの大学に上手く合格できた。これで少し、踏ん切りがついたんだ。神様は、自分にチャンスを与えて下さったのだとね! そう、ニセモノじゃない、確固たる自信を僕に宿すために、社会に出るまでの猶予期間を下さった! 僕はフリーターにならなくても良いし、浪人しなくて良いんだ! だから羽を伸ばして、自分の自信をつける期間をくれた。そこで大学に落ちていたら、間違いなく僕は回線で首を吊って、それでも途中で苦しいからと言って挫折して投げ出して、また暗黒の世界に引き篭もっていただろうね。そして、僕は初めて自分自身から決断に出たのだよ。僕は最初で最後のオリバトを書くために自信を得るには、何が必要かと考えた。そこで考えに考えて考えまくって出た結論、それは仮想的にプログラムを行う、というものだった。最初は何かリスクの低いものを考え付いたんだけど、どれもこれもしょぼくて嫌だった。辻坂中を爆破するという手紙をポスティングしたりとか、小さな女の子を遊びで誘拐したりとかね。そして、思いついたのがこれだ。バトロワを実際にやってみるんだ。僕が教官で、生徒はどうにかして集める。最初は無理があると思った。でもね、これは成功すれば物凄くメリットのあるものなんじゃないかなと人生に強く影響を及ぼすものなんじゃないかと思索した。本当の殺し合いはさせないけれど、彼らの行動を陰からこっそりと見守る。七人だから何とかなるだろうと思った。本当に殺しあわれたら困るから武器は偽者か使えないものばかりにした。生でオリバトがバトロワが見れるんだよ。それは僕の言うことを盲信している僅かな時間ではあるけれど。どんな行動に出て、どんな会話を交わすのか、興味が大いにあったしね。何と幸運なことに、僕が見つけたクラスメイト七人は全員、まともどころか極上の性質を持つ子供達だった。その幸運の反動で、今こうして見破られてしまったわけだけどね。でも、良かった。辻坂中の後輩である君ら七人は、ほんとに優秀だったからだ。下調べまで一ヶ月も掛けたから、ほんとに物凄い経歴を持った子供達だな、と実感させられたね。何と、あの庵加奈ちゃんは有名作家だったんだ。僕も読者として嗜んでいた作家なんだよ。信じられなかったね、最初は。でも彼女を観ているうち、本当にそうなんじゃないかと思えるようになった。彼女は頭が良い。それに瀬能優希ちゃんだ。彼女は経歴が掴めなかったんだけど、僕好みの女の子だし、気立てもめちゃくちゃ良い。他数人にも驚くべき経歴があったりして、ほんと、辻坂という枠を超えて神戸も近畿も名古屋もエルサルバドルもカスピ海も戦後で荒みきったイラクの中心で、バカと叫んでもいいくらい優秀でぶっちぎりで枠をぶち抜いていたよ、君らは。でもでも、三宮で中国人からモノホンの拳銃を三丁購入したときは少しやりすぎだとは思ったけれど、それでもその時は、夢中だった。でも、大丈夫、弾丸は装填してないからさ。僕が試しに辻坂の山の中で何発か試し撃ちしただけ。いや、本当はこれがしたかったから、モデルガンは使わなかったと言うのも理由にある。まあ質感や重みにリアリティがないとだまくらかすのに支障が出ると思ったからというのが最初の理由だけれど。弾は今、僕の家にあるからね。次に高校で出来た僅かな友人にその手のマニアがいたから、これこれこういった首輪を作って欲しいと頼んだんだ。もう言ってしまおう。みんなにつけた首輪も実は模造のニセモノだよ。このスイッチもプラスチックケースをそれっぽく見せただけだ。本当のところその首輪は僕が友人にエロ動画をしこたま溜め込んだCD−ROM十枚と交換条件で製作を快諾してくれた。睡眠剤散布はネットの危険サイトを巡って得た知識で自作した代物だ。中々上出来だった。効果があり過ぎたくらいだね。ちなみにこのことはクリボーにも辻坂の君達の保護者にも言ってない。秘密だ。そう、僕だけがこの計画の実行者だ。わかったかい? 僕が話せるのはここまでだ。はぁぁ、疲れた、まあ良い、ここまで君達と話し合い、何人かはだまくらかしたんだ。これは僕の自信になったような気がするよ。ありがとう。これだけ話すとすっきりするもんだね。やはり辻坂は良い場所だ。いつも誰かと誰かが巡り合う……」
「死ぬ?」有栖は一瞬微笑みかけた。
「ん?」ホムンクルスが泣き出しそうな顔で有栖を見据える。
「死ね!」
とにかく有栖の感想を言葉で表現すれば、それだった。有栖はホムンクルスに突進し、得意の前蹴りを浴びせかけた。有栖の足は、見事にホムンクルスの下腹部に突き刺さる。空手の心得があったお陰で、通常の女子生徒の数倍の威力はあっただろうその前蹴りは、ホムンクルスに尋常ではないダメージを与える。あぁうっ、と喘ぎ声を漏らす。そのまま、下腹部を抑えたまま前のめりに倒れこむホムンクルス。情けない醜態を晒した男には相応しい姿だ、と有栖は思った。そして倒れているところに追い討ち。二度、三度と強烈な蹴りを見舞ってやる。「あぐっ」「ぐわっ」床にのたまわるホムンクルスの表情が段々と苦いものへ変化していく。十九発くらい蹴った後、有栖はようやく溜息をついた。ホムンクルスは既に虫の息だったが、有栖はまだ味わい足りないくらい憤りを胸中に抱えていた。もう、このくらいで反省しただろう。ここから暴走するほど、聞き分けの悪い男ではなさそうだし、一刻も早くこの真意を皆に知らせる必要があったからだった。
「今現在が私以外の六人が貴方の言うことを盲信しきっているという深刻な状況でなければ、このくらいでは許し足りませんけれど。まあ、お仕置きは後にしてあげましょう」有栖は不敵に微笑んだ。ホムンクルスは仰向けになった状態で眼で有栖に向ける。「とにかく他の皆にこのことを知らせる為、貴方もついてくる必要があります」
「……じゃあ、何でこんなにぼろ雑巾になるまで蹴り続けたのさ」ホムンクルスはゆっくりと手で上体を起こす。「一緒についていけば良いんだろう?」
そこで有栖の肋骨にヒビが入るかと言うほどの電光石火の蹴り。
「ぎゃ!」ホムンクルスは咄嗟にガードしようとしたものの、全く反応が遅れていたせいかまともに肋に蹴りを受けた。「ごめん。ゆ、ゆ許してくれよ。もう良いだろ。気が済んだだろう?」
「済んでいません」きっと睨みつける有栖。「貴方の処遇は皆を説得した後の如何によります。警察は覚悟しておきなさい」
「警察だけは……悪かったよ。もうしないよ。許してください。もうほんとにこんな馬鹿げた真似はしません」ホムンクルスは反省のポーズをとる。「全くなんでこんなことに……」
「次に減らず口を叩いたら、二度とその口がきけなくなるかもしれません」冷たい口調の有栖。「貴方にはね、選択の余地なんてないの。それにさっき尾崎豊がどうとか社会に屈服したくないみたいなこと言ってたじゃないの。それなのに、いざ警察という言葉が出たら厄介ごとだからと言って逃げるわけ? 格好悪い!」
「うん……」
「ん?」
「ごめん。ああ。わかった。降参だ。今ので、ほんとに目が覚めた。悪役が改心する時ってこういう風なものなのだね。まるで、清清しい気分だ。有栖ちゃんに仕えてもいいくらい、心は春の朝焼けの如く、だよ」
「ちゃん、じゃなくて、様と呼びなさい。汚らわしい。名前を呼ばれるだけでも汚らわしいのに、今のところはそれで良いわ」そうは言ったものの、様づけで呼ばせたい願望は昔から内々にあったものだ。「ほら、そろそろ行くよ。もう正常に戻ったんでしょう?」
「ああ。大丈夫。大丈夫だよ。僕は覚醒したよ、ニュータイプにね。もうオールドタイプとは言わせない。地球の重力に縛られた人間なんかに負けやしないぜ」ホムンクルスはすっくと立ち上がった。
「それって全然覚醒してないんじゃないの?」有栖は皮肉ったつもりだったが、無視された。「人の話は最後まで聞けよ、ちゃんと」少し地が出たではないか。
「申し訳ない、有栖様。これで良い?」ホムンクルスはその場で回転してみせる。何か健康だということをアピールしたかったのだろうか。「今日も一段と美しいですね」
「貴方……瀬能優希に言った言動を毛頭忘れてるようね、あんなことまでしておいて。そういう軽い素振りは見せてはいけないよ。一度忠誠を誓ったら、騎士は最後まで主についてくる物です。以後、承知しておきなさい」
「わかった。いやわからない。僕は優希ちゃんが一番好みのタイプだし、ああいうタイプは三年後に化けるよ。おっぱいも大きくなるだろうし。正に僕好みの娘になるはず」ホムンクルスは先に教室を出ようとする。振り向かずに一言呟く「まあ、六樹館有栖という宝石も捨て難いけれど」
ふん、と有栖は鼻で笑ったが、その一瞬の気遣いで前の言動のいくらかはチャラになる効果はあった。そして有栖はホムンクルスの後を追った。
「貴方、付き合っている人いるの?」有栖は訊いてみた。
「いや、いない」
ホムンクルスは言った。
「どうも彼氏とか彼女とかの関係って面倒くさいんだ。束縛されるのが嫌いという俗話を信じる人間なんだよね。ああ、愛人なら僕がなってあげても良い。じゃあ、優希ちゃんと加奈ちゃんは妹かな?」
「ところで、教室に鞄を放り込んだ人物は誰なの? 秘めていたけどね、あんまりどうでも良いことだから、放っておいたんだけど。それが今、一番の謎」
「ああ、投げ込んでくれたのは……まあ言わなくてもいずれわかることだから、良いか」
「教えなさい。私でも見当がつかないのよ。共犯者の線はありうるけれど」
「キスしてくれたら教えてもいいんだけどなぁ」
「しない」
「抱きついてくれるだけでも……」そこで有栖の方に振り向くホムンクルス。
電光石火の前蹴りが下腹部に直撃する。
「しない」
可愛いよ、有栖ちゃん。
では『飼体と肢体と屍体としたい』の4を読みたい方は
コチラ